神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エリュトライ(5):テュロスから来た神像

AD 2世紀の著作家パウサニアースは、エリュトライのヘーラクレースの神域にまつわる由来譚を記していますが、その由来の出来事がどの時代に位置するのか、はっきりしません。私は、この由来の話をここに位置付けようと思います。


パウサニアースは以下のように記しています。

あなたは、エリュトライにあるヘーラクレースの聖域や、プリエーネーにあるアテーナーの神殿にも、後者はその神像のゆえに、前者はその年代のゆえに。喜ぶことでしょう。(中略)木製のいかだがあり、それに乗って神(=ヘーラクレース)はフェニキアテュロス(=今のレバノンにあった都市)を出発しました。その理由については、エリュトライ人自身によってさえ語られていません。


彼らが伝えるには、このいかだがイオーニア海にやってきたとき、エリュトライ人の港とキオス島のちょうど中間の位置の、本土側のメサテ(真ん中)と呼ばれる岬に打ち寄せられたそうです。いかだが岬に着いたとき、エリュトライ人は神像を自分たちの海岸に上陸させたくて、多大な努力を払い、キオス人も同様でした。


さて、エリュトライのある男(彼の名はポルミオでした)が、海辺で魚を獲って生計を立てていましたが、病気で視力を失っていました。彼は夢の中で、エリュトライの女性たちはその髪の房を切らなければならず、そのようにして、その髪の毛で髪の毛で編んだ綱を使って男たちはいかだを自分たちの海岸まで牽引するだろうという趣旨の光景を見ました。しかし、エリュトライ市民の女性たちは、その夢に絶対に従いませんでした。


しかし、そこに住んでいた奴隷と自由人の両方のトラーキアの女性たちが、髪を切ることを申し出ました。こうしてエリュトライの男たちはいかだを岸に引き上げました。このために、このヘーラクレースの聖域内にはトラーキアの女性以外の女性は立ち入ることができず、髪の綱は今でも土地の人々によって保管されています。同じ人々は、その漁師が視力を回復し、残りの人生の間視力を保持したと伝えています。


パウサニアース「ギリシア案内記」7.5.5~8より

エリュトライにあるヘーラクレースの像は、テュロスからいかだに乗ってやってきたというのがこの伝説の趣旨です。神像の奪い合いがエリュトライとキオスの間で行われたとも伝えており、ここにもエリュトライとキオスの対立が見えています。テュロスギリシア人ではなくフェニキア人の町でした。フェニキア人はギリシア人よりも前の時代に、遠洋航海で地中海を行き来していました。なお、テュロスには古くからフェニキア人の神であるメルカルトの神殿がありましたが、ギリシア人はこの神をヘーラクレースと同一視していました。おそらく、上の伝説に出て来るヘーラクレースの神像もフェニキア人が作ったものでしょう。それはギリシア人にとっては異国風に見えたことだろうと思います。

(上:メルカルト神の像の頭部)


このテュロスのメルカルトの神殿については、BC 5世紀の歴史家ヘーロドトスも記しています。

 私は(中略)海路フェニキアテュロスまで渡ったことがある。ここにヘラクレスの神殿があると聞いたからである。(中略)私はこの神の祭司たちに会い、神殿の建立以来どれほどの時が経っているかを訊ねたのであったが、彼らのいうところもギリシアの所伝と一致せぬことが判った。祭司たちの話では、この神の社はテュロスの町の創設と同時に建立されたものであり、彼らがテュロスに住みついて以来今まで二千三百年になる、というのだからである。
 私はテュロスで「タソスヘラクレス」の異名で知られる、別のヘラクレス社も見た。私はタソスへも行ったことがあるが、そこには確かにフェニキア人の建立に成るヘラクレスの神社があった。このフェニキア人たちはエウロペを捜索するために船出してきた者たちであったが、その折にタソスに入植したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻2、44 から

面白いことにテュロスには「タソスのヘーラクレース」とも呼ばれている神の神殿もあったということです。タソスというのはエーゲ海の北に位置する島です。そしてヘーロドトスはタソスにも行って、そこにヘーラクレースの神殿があるのを確かめたということです。ヘーロドトスは、それをフェニキア人の建立になるものと推定しています。その理由をヘーロドトスは記していませんが、おそらくその神殿の祭司から由来を聞いたのでしょう。別の場所で、ヘーロドトスはタソスには最初フェニキア人が植民していたことを記しています。タソスという島の名前自体が、あるフェニキア人の名前に由来するということです。エリュトライのヘーラクレースの神域もフェニキア人の建立になるものでしょうか? そこのところはよく分かりません。これに関係して思いつくのは、エリュトライが最初クレータ島の人々によって植民されたという伝説です。クレータの王家は、ゼウスとエウローペーの間に生れたミーノースを祖としていますが、伝説によればエウローペーはフェニキアの王女で、雄牛に化けたゼウスによって誘拐され、クレータ島にやってきたのでした。これはかつてクレータ島にフェニキア人が住んでいたことを暗示しているのかもしれません。

(上:雄牛に化けたゼウスとエウローペー)