神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

リンドス(4):アテーナー・リンディア(リンドスのアテーナー神殿)

ダナオスと50人の娘たちがリンドスに女神アテーナーの神殿を建立したのは、エジプトから無事に脱出することが出来たことを感謝するためでした。とはいえ、伝説によれば彼らは結局はエジプトから追っかけてきたアイギュプトスの50人の息子たちに捕まってしまったのですから、神に感謝しても無駄だったわけです。「神意は、はかり難し」ということなのでしょうか?

(上:アテーナー・リンディア)


アテーナー・リンディアにまつわる別の伝説では、その創建はダナオスと50人の娘たちではなく、もっと昔のヘーリアダイになっています。女神アテーナーが父ゼウスの頭から誕生した際に太陽の神ヘーリオスは、息子たち(ヘーリアダイ)にその誕生を祝ってアテーナーの祭壇を建て、犠牲を捧げるように命じました。その時ヘーリアダイは急ぎのあまり火を忘れたために、焼かない犠牲を女神アテーナーに捧げました。しかし女神はこの犠牲を嘉(よみ)したといいます。また、父ゼウスもそれを嘉し、リンドスにサフラン色の雲を送り、金色の雨を降らせたということです。この時の祭壇がアテーナー・リンディアの起源だということです。


現在リンドスにあるアテーナー神殿の遺跡は、ロドス島がイタリア領だった頃、イタリアによって復元されたそうです。今回調べて私は始めて知ったのですが、ロドス島が現在のギリシア領になったのは第二次大戦後のことであり、第一次大戦後から第二次大戦中まではイタリア領だったということです。ところで、この復元作業はあまり良くないものだったようです。

現代の基準からするとこの復元は出土したものに関する十分な検証もせずに行われており、損害を与える結果となっている。近年ギリシャ文化省の監督の下で国際的な考古学チームが正しい復元と保護のために働いている。


日本語版ウィキペディアの「リンドス」の項より


この神殿はBC 342年に焼失し、その後BC 4世紀後半に再建されたということですので、復元されたアテーナー神殿はこのBC 4世紀の神殿を元にしたものだと思います。ダナオスと50人の娘たちが建てたと伝えられる神殿は、もちろんこれよりずっと古いもので、木造のもっと小規模な神殿だったことでしょう。

(上:アテーナー・リンディア)


周藤芳幸氏の「物語 古代ギリシア人の歴史」の中にはロドス島を舞台にした短い歴史物語が収録されていますが、そこにアテーナー・リンディアの奉納物が登場します。

それらは、テーベの建設者カドモスが奉納した釜や、クレータ島のミーノース王の杯、英雄ヘーラクレースの楯や、トロイア戦争の原因になった美女ヘレネーの首飾り、です。これらについて物語の作者の周藤氏は「この奉納品については、ヘレニズム時代に編纂されたリンドスのティマキダスによる神殿年代記を参照した」と書かれています。ですので、上に挙げた人々がかつてアテーナー・リンディアを訪れたという伝説があったことが分かります。カドモスとヘーラクレースについてはより詳しい状況を推測することが出来ます。


カドモスについては「テーラ(3):エウローペーを探すカドモス」に書きました。カドモスはフェニキアの王子でしたが、自分の妹のエウローペー(ヨーロッパという地名の由来になった女性)が神々の王ゼウスによってクレータ島へ拉致されたのでした(ゼウスにはよくこのような話があります。ゼウスは若い女性に目がないのです)。カドモスの父親アゲーノールは娘の失踪に激怒して、息子たちに世界の隅々まで探してエウローペーを見つけるように、と命じました。息子の一人カドモスは、フェニキアから船出したところあいにく難破し、ロドス島のリンドスに漂着したのでした。カドモスはアテーナー・リンディアに参拝して妹が見つかりますようにと祈願したに違いないのですが、妹を拉致したのがアテーナーの父親であるゼウスですので、カドモスの祈願に応えるわけにはいかなかったことでしょう。カドモスとその部下たちは、リンドスを出航して次はテーラ島に上陸しています。

(上:牡牛に化けたゼウスに拉致されるエウローペー)



(上:前門の階段)



(上:階段を上から見たところ)


ヘーラクレースの楯の由来については、それに関係のありそうな話を高津春繁著の「ギリシアローマ神話辞典」の「ヘーラクレース」の項の中の「IV. 十二功業」の中の「(11) ヘスペリスの園の黄金の林檎」の中に見つけました。

園のあり場所を知った彼(=ヘーラクレース)は、リビアを通って進んだ。ここで彼はアンタイオスを殺し、エジプトでは異邦人を犠牲に供していたブーシーリス王を討った。つぎにアジアを通り、リンドス人の港テルミュドライに寄った。そこで一人の牛追の一方の牛を車からはずして犠牲にし、飲み食いした。牛追は英雄に抗すべくもないので、ある山の上に立って呪った。ヘーラクレースに犠牲を捧げる時に、呪いとともにこれを行なうのはこの故事による。


ここではヘーラクレースの楯の話は登場しませんが、おそらく上の伝説に関係した由来があったものと思います。

(上:リンドスのアクロポリスからの眺め)