神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アブデーラ(1):神話的な起源

アブデーラはBC 544年にテオース人によって建設されたということなので、かなり歴史としてしっかりしている時代に起源をもっています。そういう意味では神話と歴史の間の対象になる町ではないとも言えます。それでもこの町にも神話にさかのぼった起源説話が作られていますので、それをご紹介します。

(アブデーラと、アブデーラに関連する都市の位置)


ヘーラクレースの12の功業の1つ「ディオメーデースの馬を連れて来ること」の中にアブデーラの起源説話があります。このディオメーデースの馬というのはただの馬ではなくて、人間を食べて生きているという凶暴な馬でした。そしてこの馬に人間を食わせて養っているディオメーデースという人物も、トラーキアの好戦的な部族ピストーネス族の王で、簡単にこの馬を貸してくれそうにはありませんでした。ヘーラクレースに毎回難題を与えるミュケーナイ王エウリュステウスは今回はこの凶暴な馬を連れてくることを命じたのでした。


ヘーラクレースはこの課題を遂行するのにロクリスの人でヘルメース神の息子である少年アブデーロスを連れていきました。彼が頼りになるからではなく、彼が当時のヘーラクレースのお気に入り、ありていにいえば愛人だったからです。ヘーラクレースはディオメーデースを殺して例の馬に食わせました。ところが王の変事を聞きつけたピストネース族の戦士たちが王宮に集まって来てヘーラクレースに襲い掛かりました。ヘーラクレースは馬の番をアブデーロスに命じ、自分はピストネース族に向って戦いました。そしてピストーネス族の戦士たちを壊走させたのちに、戻ってみるとアブデーロスは例の馬に食べられてしまっていました。それを見て悲しんだヘーラクレースは、この場所にアブデーロスを記念して墓を建て、そしてそのそばに町を創って、アブデーロスにちなんでアブデーラと名前をつけたということです。

(上:ギュスターヴ・モロー『自らの馬に喰い殺されるディオメデス』)


さて、この話を知っての私の感想ですが、物語のなかでアブデーロスには超人的なところはなかったようですから、そんな普通の人に人食い馬の世話をさせるなよ、と思いました。ヘーラクレースに関する伝説にはこれに類した話が多く、どうもヘーラクレースは頭が少々足りないように思えます。感想のその2は町を創るというのは具体的に何をした、というのかと疑問になった、というものです。どこかから人々を連れて来て「お前たちは今日からここに住め」と命じたというのでしょうか? 全然具体性がありません。


でも、この話には歴史を反映しているのではないかと気になる点があります。それはアブデーラの創建にヘーラクレースが関わっている、という点です。アブデーラのすぐ近くにあるタソス島には古いヘーラクレースの神殿がありますが、これは実はフェニキア人の神メルカルトを祭ったものでした。タソスはかつてはフェニキア人の植民市だったのです。そして考古学の知見によればアブデーラもかつてはフェニキア人の町だったということです。ギリシア人が進出する前、エーゲ海フェニキア人とカーリア人のものであったことをBC 5世紀の歴史家トゥーキュディデースが記しています。

当時島嶼にいた住民は殆どカーリア人ないしはポイニキア人(=フェニキア人)であり、かれらもまたさかんに海賊行為を働いていた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1、8 から

また、タソスのヘーラクレースの神殿がフェニキア人による創建であることについては、トゥーキュディデースより1世代前の歴史家ヘーロドトスが以下のように記しています。

私はこの件に関して正確な知識を与えてくれる人に会いたいと思い、海路フェニキアテュロスまで渡ったことがある。ここにヘラクレスの神殿があると聞いたからである。私はそこにおびただしい奉納物に飾られた神殿を見たのであったが、数ある奉納物の中でも特記すべきは二本の角柱(ステーレー)で、一つは精錬された黄金製、一つは闇中にも輝くほどの巨大なエメラルド製であった。(中略)
 私はテュロスで「タソスヘラクレス」の異名で知られる、別のヘラクレス社も見た。私はタソスへも行ったことがあるが、そこには確かにフェニキア人の建立に成るヘラクレスの神社があった。


ヘロドトス著「歴史」巻2、44 から

ということは、アブデーラの創建説話に登場するヘーラクレースは実はフェニキア人の神メルカルトであり、この説話は、神メルカルトによってアブデーラの町が創建されたことを述べているのではないか、と私は想像しました。