神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(8):イオーニア12都市

ミーレートス:目次へ  ・前へ  ・次へ
ミーレートスはリュディアと同盟を結んだおかげで、他のイオーニア都市とは異なり、独立を保つことが出来ました。リュディア王が次の代のクロイソスになった時、クロイソスはいろいろと口実を設けて他のイオーニア都市を征服してしまいましたが、その時もミーレートスには手をつけることはありませんでした。ここで、他のイオーニアの都市をヘーロドトスの記述を借りて紹介しておきます。

これらのイオニア人の話している言葉は同一のものではなく、四つの方言に分かれている。イオニアの諸都市の内、最も南方の町はミレトスで、つづいてミュウス、プリエネがあり、これらの町はみなカリア地方にあり、お互いに同じ方言を話している。次にリュディアにある町は、エペソスコロポン、レベドス、テオスクラゾメナイポカイア、これらは前に挙げた町とは言葉は違うが、お互い同士は同じ方言を話している。イオニアの町はそのほかになお三つあり、その内二つは島にあって、すなわちサモスキオスがそれであるが、もう一つはエリュトライで、これは大陸にある。そしてキオスエリュトライの住民は同一の方言を話すが、サモス人だけは孤立しており独自の方言を用いている。


ヘロドトス著 歴史 巻1、17~19 から

 


これらの都市の位置を地図で表すと下のようになります。

  • イオーニア諸都市の位置

サルディスはもちろんリュディア王国の首都であって、ギリシアの、ましてやイオーニアの都市ではありませんが、今までの話でよく登場してきたので位置を示しました。この図を作ってみて、よくまあこんなにいっぱい植民市を作ったもんだなあ、と思いました。そのひとつひとつの領域が狭いであろうこともこの地図から推察することが出来ます。しかしこれらは皆、独立したポリス、つまり都市国家なのでした。また別の感慨としては、今ではここはトルコなのに当時はギリシアだったんだなあ、という驚きもあります。私はこの小さな都市のひとつひとつにいろいろな物語がきっとあったんだろう、ということを想像すると何故かうれしくなってきます。


ところで注意深く上の引用文と地図を見比べた人は気づいたかもしれません。地図にはスミュルナという都市が書かれているのに引用したヘーロドトスの文章にはスミュルナの名前がないことを、です。ヘーロドトスによりますと、スミュルナはもともとアイオリス人の植民市として建設されたのだが、途中でコロポーン人に策略によって乗っ取られてしまった、ということです。コロポーン人はイオーニア人に属するのでスミュルナはアイオリスの都市からイオーニアの都市に変わった、ということです。その経過についてもヘーロドトスは歴史の中で述べているのですが、ミーレートスの話から逸れてしまうので、ここでは紹介しません。ところでアイオリス人というのもイオーニア人と同様にギリシア人の範疇に含まれます。


アイオリス人はイオーニア地方の北側の海岸沿いと島々に植民市を建設していきました。また、イオーニア地方の南側の海岸沿いと島々にはドーリス人が植民市を建設していきました。

  • Wikipediaにそれらの植民市の位置を示した画像がありましたので紹介します。しかし、アイオリス人の地方については、ヘーロドトスが述べている都市の中で位置が同定できないものもあります。


話を戻しますと、クロイソスはミーレートスを除いて大陸のギリシア人を征服したのでした。島のギリシア人都市、たとえばサモスキオスは征服をまぬがれました。

このクロイソスが、われわれの知る限りでは、ギリシア人をあるいは征服して朝貢を強い、あるいはこれと友好関係を結んだ、最初の異邦人であった。すなわち彼は、イオニア人、アイオリス人およびアジアに住むドーリス人を征服する一方、ラケダイモン(スパルタ)とは友好関係を結んだのであった。クロイソスの統治以前は、すべてのギリシア人が自由であった。クロイソスより以前にも、キンメリア人がイオニアに侵攻したことがあったが、それも国々を征服するというようなことはなく、単に略奪を目的とする進入にすぎなかったからである。


ヘロドトス著 歴史 巻1、6 から

 

 

ミーレートス:目次へ  ・前へ  ・次へ