神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモトラーケー(3):ペルシア戦争まで

BC 8世紀にギリシア人がサモトラーケーにやってきて町を作ったあと、サモトラーケーの町にはどんなことがあったでしょうか? これについてはあまり伝わっていないようです。ただし、島から北の大陸側のトラーキアに領土を拡げていったということは推測出来ます。のちのことになりますが、BC 480年にペルシアの大軍がこのトラーキア地方を西に向って進軍した時に、サモトラーケー人の作った砦があったことをヘーロドトスは記しています。

さて(ペルシア王)クセルクセスはドリスコスを発してギリシアに向ったが、征旅の途中で次々に出会う者を強制的に従軍せしめた。それというのもすでに本書で述べたごとく、テッサリアに至るまでの全域は、先にはメガバゾス後にはマルドニオスによって平定されており、ペルシア王の隷下に入り朝貢国となっていたからである。
 さてドリスコスから行動を起した遠征軍は、先ずサモトラケ人の築いたいくつかの砦を通過したが、それらの内最西端にあるのがメサンブリアという町である。この町と境を接してタソス人の町ストリュメがあるが、この二つの町の間をリソスという河が貫流している。当時この河はクセルクセス軍に給水するには水量が足らず、涸渇してしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻7、108 から

隣のタソス島の住民もやはりトラーキアに領土を拡げていました。それでサモトラーケー人の作った町メサンブリアと、タソス人の作った町ストリュメが隣接していたのでした。タソス島にはBC 7世紀に活躍した詩人アルキロコスがいます。彼の詩の中にはトラーキア人との戦いを歌ったものがあります。おそらく、サモトラーケーにギリシア人がやってきてからの出来事の中にはトラーキア人との抗争が大きな部分を占めていたのではないか、と推測します。以下は、アルキロコスがトラーキア人との戦争の予感を歌った詩の断片です。グラウコスというのは、アルキロコスの戦友だと推定されています。


アルキロコス

グラウコスよ、見よ! すでに波は海を深く乱し
雲はギュライの山頂の周りに現われている。嵐の前兆だ。
予期せぬところから、恐怖が訪れる。


アルキロコス 断片56Dより


BC 8~7世紀にエウボイアの島の2つの都市カルキスエレトリアの間にレーラントス戦争が起こりました。その時、サモスカルキスの味方をし、エレトリア側についたミーレートスと戦いました。この時サモスの植民市であったサモトラーケーもこの戦争に参加したのかどうか気になります。しかし、これははっきりしません。


やがて東からペルシア王国の勢力が伸びてきます。英語版Wikipediaの「サモトラーケー」の項によればBC 508年にサモトラーケーはペルシアの支配下に入ったということです。ヘーロドトスはサモトラーケーがペルシアに征服された時のことを直接には書いていませんが、これはペルシア王がダーレイオスの頃で、おそらくダーレイオスがスキュティア(今のウクライナあたり)を攻略して失敗したあと、部下のメガバゾスにトラーキアの征服を命じた時のことだと思います。


BC 480年のペルシア王クセルクセースによるギリシア本土侵攻の際には、サモトラーケーは水軍を派遣し、ペルシア側で戦いました。彼らは、アテーナイの沖で行われたサラミースの海戦の時に勇戦したということです。

この混乱の最中には次のような事件もあった。船を失ったフェニキア部隊のあるものが、(クセルクセース)王の許へきてイオニア人を讒謗し、自分たちが船を失ったのはイオニア人のせいであり、彼らは裏切者であると訴えたのである。ところが奇妙な廻り合せから、イオニアの将領たちは破滅を免れ、誹謗したフェニキア人が次のような報いを受けることになった。フェニキア人たちが右のような訴えをしているさ中に、サモトラケの船がアテナイの船に突入した。アテナイの船が沈没しようとしたとき、アイギナの船が急遽駆けつけて、サモトラケの船を撃沈した。ところがサモトラケ人たちは投槍に長じていたので、沈みゆく船上から槍を投げて敵船の戦闘員を一掃し、その船に乗り移ってこれを占領してしまったのである。この事件がイオニア人を救うことになった。というのはサモトラケ人が見事な手柄を立てたのを見たクセルクセスは、敗戦のため極度に心痛し、誰彼の差別なく咎め立てしていた矢先であったので、フェニキア人に向き直ると、自分自身臆病な振舞いをしながら、自分たちより勇敢なものたちを誹謗するようなことは許せぬといって、彼らの首を刎ねよと部下に命じた。


ヘロドトス著「歴史」巻8、90 から

これはクセルクセースが、サモトラーケー人をイオーニア人に属する種族と見ていたから、サモトラーケー人の勇戦を以て、イオーニア人が勇敢である、と判断したということなのでしょう。