神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

カルキス(4):トロイア戦争ののち

では、アウリスでの悲惨な出来事から別れて、その後を見てみましょう。その後、ギリシアの艦隊はトロイアに向い、カルキスの王エレペーノールも40隻の船を率いて参加したのでした。「(2):エレペーノールとアバンテス族」でお話ししたように、エレペーノールはトロイアで戦死します。これはホメーロスが語っているところなので尊重しなければなりません。エレペーノールの子供については伝えがありません。また、エレペーノールの部下たちについては、トロイア戦争後、帰国する際に航路を外れてしまい、ギリシア本土の西側のエーペイロス地方(現在のアルバニア付近)で難破したため、やむなく上陸してそこにアポローニア市を建てた、という伝えがあります。トロイア戦争後のカルキスについて述べた伝説がみつからないので、トゥーキュデュデースの以下の記述で満足するしかなさそうです。

トロイア戦争後にいたっても、まだギリシアでは国を離れるもの、国を建てるものがつづいたために、平和のうちに国力を充実させることができなかった。その訳は、トロイアからのギリシア勢の帰還がおくれたことによって、広範囲な社会的変動が生じ、ほとんどすべてのポリスでは内乱が起り、またその内乱によって国を追われた者たちがあらたに国を建てる、という事態がくりかえされたためである。


トゥーキュディデース「戦史 巻1 12」より


エウボイア島の西海岸に面した大陸側はボイオーティア地方というのですが、トロイア戦争終結して60年後そこに北からボイオーティア人が侵入してきて、元から住んでいたゲピュライオイ人を追い出す、という事件が起きています。

現在のボイオーティア人の祖先たちは、もとはアルネーに住居していたが、トロイア陥落後60年目に、テッサリア人に圧迫されて故地をあとに、今のボイオーティア、古くはカドメイアと言われた地方に住みついた。


同上


(ボイオーティア人の侵入)


上のトゥーキュディデースによる記事では、ボイオーティア人に追い出された種族がゲピュライオイ人であるとは記していませんが、ヘーロドトスによる以下の記事と併せて考えると、それがゲピュライオイ人という種族であることが分かります。

ゲピュライオイ族というのは、本来エレトリア(カルキスのすぐ南の町)に発した部族であると自称しているが、私が調査して明らかにしたところでは、今日ボイオティアと称されている地方に、カドモスとともに移住してきたフェニキア人であり、この地方のタナグラ地区に割当てられて定住していたものであった。ところがまずカドモス一党が、アルゴス人によってこの地から追われたのち、つづいてゲピュライオイ族もボイオティア人に追われて、アテナイへ難を避けることになった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、57 から


このゲピュライオイ人は、カルキスに近いエウボイア島のエレトリアに起源を持つ部族と自称していたことから考えて、その一部がエウボイア島に移住してきたのかもしれません。


トゥーキュデュデースによれば、ボイオティア人の南下の20年後、今度はドーリス人が南下してペロポネーソス半島を占領します。

また八十年後には、ドーリス人がヘーラクレースの後裔たちとともに、ペロポネーソス半島を占領した。


トゥーキュディデース「戦史 巻1 12」より

しかし、このことがカルキスに影響をおよぼした様子はなさそうです。

こうして長年ののち、ようやくギリシアは永続性のある平和をとりもどした。そしてもはや住民の駆逐がおこなわれなくなってから、植民活動を開始した。


同上

この時、植民活動の先頭にたったのがカルキスと、そしてその近くにある都市エレトリアでした。