神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エレトリア(3):ゲピュライオイ

エレトリアの建設はBC 9世紀ということになりそうですが、それ以前のことと思われる伝説もあるので、ご紹介したいと思います。


エウボイア島の西海岸に面した大陸側はボイオーティア地方というのですが、そこに北からボイオーティア人が侵入してきて、元から住んでいたゲピュライオイ人を追い出す、という事件が起きています。

ゲピュライオイ族というのは、本来エレトリアに発した部族であると自称しているが、私が調査して明らかにしたところでは、今日ボイオティアと称されている地方に、カドモスとともに移住してきたフェニキア人であり、この地方のタナグラ地区に割当てられて定住していたものであった。ところがまずカドモス一党が、アルゴス人によってこの地から追われたのち、つづいてゲピュライオイ族もボイオティア人に追われて、アテナイへ難を避けることになった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、57 から


これに関連する記事がトゥーキュデュデースにもあります。

現在のボイオーティア人の祖先たちは、もとはアルネーに住居していたが、トロイア陥落後60年目に、テッサリア人に圧迫されて故地をあとに、今のボイオーティア、古くはカドメイアと言われた地方に住みついた。


トゥーキュディデース「戦史 巻1 12」より


(ボイオーティア人の侵入)


上の引用でボイオーティアが古くはカドメイアと呼ばれていたというのは、ヘーロドトスの記事に出てきたカドモスという神話上の人物に由来しています。カドモスはフェニキアからやってきてテーバイを建設したと伝えられる人物です。そこに住んでいたゲピュライオイ族が、アイオリス人の一派であるボイオーティア族によって追い出され、ヘーロドトスの記事によればアテーナイに移住したのでした。そのゲピュライオイ族が、自分たちはエレトリアに発した部族だ、と称していたということですが、あるいはカドメイアから追い出されたゲピュライオイ族の一部がエレトリアに移住したのかもしれません。そしてトゥーキュディデースによればこの出来事はトロイア戦争後60年目のことだったそうです。おそらくBC 12世紀の頃でしょう。


(2):レフカンディ」ではエレトリアの建設をBC 9世紀としたのですが、それより300年前にエレトリアの町は存在したのでしょうか。ひょっとすると、ゲピュライオイ族はエレトリアではなくレフカンディに移住し、その後、レフカンディの人々とともにエレトリアに移住したのかもしれません。


トゥーキュデュデースによれば、ボイオーティア人の南下の20年後、今度はドーリス人が南下してペロポネーソス半島を占領します。

また八十年後には、ドーリス人がヘーラクレースの後裔たちとともに、ペロポネーソス半島を占領した。こうして長年ののち、ようやくギリシアは永続性のある平和をとりもどした。そしてもはや住民の駆逐がおこなわれなくなってから、植民活動を開始した。


同上


ギリシアの神話と歴史の間の、様子がよく分からない時代に、ギリシアのさまざまな部族が追われたり、他の部族を追い出したりしていた様子が、伝承の中からうっすらと見えてきます。