神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(19):キオス・ワイン

前回のお話でキオス産のワインが登場しましたが、キオスのワインは名産として知られていたようです。私はこのブログ「神話と歴史の間のエーゲ海」でいろいろな都市の歴史を調べているうちに、いろいろな都市について、ワインで有名、という記述を見つけるので、だんだんと、それらが本当のところそれほど有名だったのか疑問に思うようになりました。コースのワインも有名だったとされていますし、サモスのワインも、タソスのワインも有名だったとされています。キオスのワインもまた、有名だということですが、では一体エーゲ海全体としては、どこのワインが一番上ものとされていたのか、知りたくなりました。


今はネットの時代ですから、こういう疑問にもすぐ資料が見つかります。私が見つけたのは「ヘレニズム時代東地中海のワイン交易」という論文で著者は周藤 芳幸氏(名古屋大学教授)です。この論文の冒頭にキオス・ワインが登場します。

 紀元前257 年5 月10 日、この頃プトレマイオス2 世のもとで宰相(dioiketes)を務めていたアポロニオス(Apollonios)がパレスティナで所有していた農園を視察したグラウキアス(Glaukias)は、アポロニオスに宛てて、以下のような書簡を送っている1)。
 「…バイタノタに到着した私は、メラスを伴って、ブドウやその他すべての作物の出来を検分に出かけました。彼の仕事ぶりは有能で、ブドウ畑には8 万株が植えられているとのことでした。そこには、貯水槽と立派な屋敷もあります。私はワインも試飲してみましたが、どちらが地元産でどちらがキオス産か、区別がつきませんでした…」(P.Lond. VII 1948)
 この書簡の中で、当該の農園で栽培されたブドウから生産されたワインが高品質であることを保証するのに、エーゲ海東部のキオス(Chios)島のワインが引き合いに出されているのは、この時代のワイン交易について考える上で、きわめて興味深い。というのも、この書簡で行われているような情報伝達は、キオス産のワインこそ質の高いワインの代表的存在であるというコードが共有されていなければ成り立たず、そのようなコードが定着する契機として、それ以前にキオス産ワインが東地中海に広く流通していたという事態が想定されるからである。


周藤 芳幸氏「ヘレニズム時代東地中海のワイン交易」西アジア考古学 第 17 号 (2016 年)より

ここに「キオス産のワインこそ質の高いワインの代表的存在であるというコードが共有」されていたことの指摘があります。ということは、キオスのワインこそ一番上ものだったということになりそうです。この時代はヘレニズム時代という時代で、ギリシア本土の都市国家(ポリス)は衰退して、エジプトや西アジアギリシアの北のマケドニアにはギリシア系を支配階級に持つ領域国家が成立し、互いに勢力を争っていた時代でした。上の引用にある「プトレマイオス2 世」は当時のエジプトの王です。「私はワインも試飲してみましたが、どちらが地元産でどちらがキオス産か、区別がつきませんでした」と書簡に書いた人物「グラウキアス」は名前からしておそらくギリシア系の役人だったのでしょう。


この論文の先を見ると、以下のような記述があります。

アテナイオスなどの古典史料からも明らかなように、前古典期から古典期にかけての高級ワインの産地として盛名を誇っていたのは、キオスとタソス、それにレスボス(Clinkenbeard 1982)やメンデ(Papadopoulosand Paspalas 1999)などのエーゲ海北半の諸都市だった。(中略)
 ところが、これらの都市から遠隔地へのワインの輸出は、キオスを例外として紀元前4 世紀の末までに急速に衰微したらしく(中略)。代わって急速に台頭したのが、エーゲ海南東部のコスクニドス、そしてロドスであり、ヘレニズム時代に入ると、エジプトにおいて見てきたように、これらの都市から輸出されたワインが市場を席巻するようになるのである。


同上

すると、キオスのワインは前古典期からヘレニズム時代にかけて高級ワインの産地として不動の地位を得ていたということになります。


というわけで、私はここで「当時、キオスのワインこそは、本当に高級なワインとして有名でした。」と安心して書くことが出来ます。振り返ればこの島の神話的な王オイノピオーンは、ワインの神ディオニューソスアリアドネーの息子の一人であり、赤ワインの創始者でした。もともとワインの産地として有名だったから、このような神話が出来たのでしょう。

(ワインの神ディオニューソスが、船の帆柱をブドウの木に変化させたところ)


キオスのワインが登場したところで、「海に浮かぶ島々の中でもひときわ豊饒なキオス」ホメーロス讃歌の中の「アポローンへの讃歌」の一節)についての私の話は終わりにしたいと思います。
読んで下さり、ありがとうございます。