神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(6):歴史時代とのはざま

アリアドネーの出来事以降、ナクソスはでは何が起きたでしょうか? 私はそれについての物語を見つけることは出来ませんでした。


そこでナクソスに関係のある神話を広く調べてみると、海の神ポセイドーンが、のちにお妃になるアムピトリーテーを見初めたのがナクソス島近海だったとか、ポセイドーンがディオニューソスナクソス島の所有を争って負けた、という話が見つかりました。この後者の話から、ナクソス島とディオニューソス神の間に深い関係があることが分かります。ディオニューソスはブドウとワインの神ですので、当然、ナクソス島のブドウの産地です。楠見千鶴子著「癒しの旅 ギリシアエーゲ海」には現代のナクソスのブドウ畑の描写があります。

そうしていよいよ険しい山間を縦断しながら、一路北端まで行くのであるが、その山間の両斜面が、なんと上から下まで延々と葡萄の段々畑だった。
 その間には、斜面にできた集落がいくつかあるが、見渡す限りに広がる何千何万の、土留めをした段々畑は、とても人間業とも思えない壮観な眺めだ。


楠見千鶴子著「癒しの旅 ギリシアエーゲ海」の「ナクソス島 アリアドネの光と影」より


話は変わりますが、鍛冶の神ヘーパイストスに鍛冶の技術を教えた神話的な人物ケーダリオーンはナクソス島に住んでいたとのことです。「キオス(2):オーリーオーン」でご紹介した話では彼はレームノス島にいたはずで、しかもその物語ではヘーパイストス神の鍛冶の手伝いをする少年だったはずですが・・・・。それはともかく、アリアドネーがディオニューソスによってナクソス島から、北のレームノス島に連れていかれた、という話もあることから、ナクソスレームノスの間には何か関係があるのかもしれません。そしてオーリーオーンの話を考えるとキオス島とも関係があるのかもしれません。


考古学から分かることは、BC 2000年より以前にはナクソス島もキクラデス文明に属していたということです。キクラデス文明については「デーロス島(6):キクラデス文明」で書きました。

その後、BC 2000年からBC 1600年にかけてはクレータ島の影響が強く、その後、BC1250年頃には西側の大陸ギリシアの影響が強くなっています。テーセウスがクレータのミーノータウロスを退治した物語は、この時代のことが、つまり大陸ギリシアエーゲ海の支配権をクレータ島から奪った頃のことがいくぶんか反映されているのかもしれません。その後、この影響は一度弱くなります。この頃、西の大陸ギリシアでは動乱があったことが分かっています。その後、もう一度、大陸からの影響が強まり、BC 10世紀頃にはイオーニア人が到来したということです。このイオーニア人たちがやってきた頃の物語を知りたいと思っているのですが、結局、「(1):町の起源」でご紹介した以下の文章に舞い戻ってしまいます。

ナクソス人は起源をアテナイに発するイオニア民族である。


ヘロドトス著「歴史」巻8、46 から

それは、アテーナイ王コドロスの息子たち、アンドロクロスとネーレウスがそれぞれエペソスミーレートスを建設したのと同じ頃だったのでしょうか? それともエペソスミーレートスよりナクソスの方がアテーナイに近いので、それより前だったのでしょうか? 本当にアテーナイからの植民だったのでしょうか? ヘーロドトスはこのほかにもシプノス島やセリポス島やケア島の住民の起源をアテーナイにしています。アテーナイが多過ぎはしないか、と思います。