神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

2019-01-01から1年間の記事一覧

スミュルナ(4):ホメーロス

スミュルナ:目次へ ・前へ ・次へ もっとも、ホメーロスを自分の町の出身だと主張する町はスミュルナ以外にも多くありました。古代のホメーロスの伝記のひとつには次のように書かれているということです。 さてホメーロスを、ピンダロス Pindaros はキオス …

スミュルナ(3):アイオリス人の到来

スミュルナ:目次へ ・前へ ・次へ ギリシア人でスミュルナに植民したのは、ギリシア人の一派であるアイオリス人でした。しかし、その植民に関する物語を、残念ながら私は見つけることが出来ませんでした。さて、スミュルナはアイオリス人の都市連合の一員と…

スミュルナ(2):リュディア人のウンブリア移住

スミュルナ:目次へ ・前へ ・次へ ヘーロドトスはその「歴史」のなかで、リュディアには3つの王朝があったと述べています。 最初の王朝はアテュスの子リュドスが開いたもので、リュディア人の名はこのリュドスに由来すると述べます。その王朝が何年続いた…

スミュルナ(1):リュディア人のスミュルナ

スミュルナ:目次へ ・次へ スミュルナは、トルコ第3の都市イズミールにかつてあったギリシアの植民市です。現在の地名イズミールも、元の名前スミュルナに由来するそうです。 このスミュルナの起源ですが、ギリシア神話ではアマゾーン族の一人スミュルナー…

スミュルナ:目次

都市一覧へ 1:リュディア人のスミュルナ スミュルナは、トルコ第3の都市イズミールにかつてあったギリシアの植民市です。現在の地名イズミールも、元の名前スミュルナに由来するそうです。このスミュルナの起源ですが、ギリシア神話ではアマゾーン族の一…

タソス(11):その後のタソス

タソス:目次へ ・前へ 格闘家テアゲネースの晩年は、自身の華々しい活躍にもかかわらず、タソスの衰退期にあたっていました。タソスはペルシア戦争後、アテーナイを盟主とするデーロス同盟に参加したのですが、アテーナイは自身の勢力が増大するにつれてタ…

タソス(10):テアゲネース

タソス:目次へ ・前へ ・次へ このBC 480年の古代オリンピックで、ボクシングで優勝したのがタソスの人テアゲネースでした。テアゲネースについては周藤芳幸氏の「物語 古代ギリシア人の歴史」のひとつの章に、テアゲネースの一代記の形で紹介されています…

タソス(9):戦時下の古代オリンピック

タソス:目次へ ・前へ ・次へ この回では、このクセルクセスがギリシア本土に侵攻した年(BC 480年)のオリンピックでボクシングで優勝したタソス人テアゲネースのことを書くつもりでいました。しかし、書こうとした時に「あれ、ギリシア本土が丸ごとペルシ…

タソス(8):大軍の通過

タソス:目次へ ・前へ ・次へ タソスを占領したフェニキアの艦隊はその後西へアテーナイを目指して進みましたが、途中で嵐にあって艦船や兵士の多数を失ったため、遠征を中止して撤収しました。その後BC 490年に再度、遠征軍が組織されましたが、前回の嵐に…

タソス(7):ペルシアの支配

タソス:目次へ ・前へ ・次へ BC 498年、小アジアに位置するギリシア人の諸都市、いわゆるイオーニア地方と、その北にあるアイオリス地方はペルシア王国の支配に対して反乱を起しました。これが後世、イオーニアの反乱と呼ばれることになる事件です。イオー…

タソス(6):150年の空白

タソス:目次へ ・前へ ・次へ 詩人アルキロコスが死んだのがBC 645年頃と推定されています。タソスについて次に書くことが出来るネタが、ミーレートス人ヒスティアイオスによるBC 493年のタソス攻撃ですが、この間、約150年もあります。ここを何も書かずに…

タソス(5):アルキロコス(2)

タソス:目次へ ・前へ ・次へ 前にも述べましたように、アルキロコスの生涯についての伝承はほとんど信憑性がないとのことですが、それでも彼の生涯をたどる努力をしてみましょう。 彼は、タソスの植民市創立者であったパロス人の貴族テレシクレースの子と…

タソス(4):アルキロコス(1)

タソス:目次へ ・前へ ・次へ タソス市の建設者であったテレシクレースにはアルキロコスという名の息子がいました。彼はのちに古代ギリシアで有名な詩人になりました。もっとも彼はテレクシレースの正妻の子ではなかったようです。彼の生涯に関する伝承はい…

タソス(3):タソス植民

タソス:目次へ ・前へ ・次へ BC 650年かその少し前、パロス島の住民テレシクレースがデルポイの神託に従って、パロス島の植民希望者を率いてタソス島へ植民しました。このことについて分かっていることはほとんどありません。若干の学者の説によれば、テレ…

タソス(2):テュロスのヘーラクレース

タソス:目次へ ・前へ ・次へ 前回ご紹介したように、タソス島にその名を与えたというフェニキア人タソスは、ギリシア神話において、ゼウスに誘拐されたエウローペーを捜索する人の中に加えられました。そしてカドモスの兄弟または甥とされることもありまし…

タソス(1):フェニキア人のタソス

タソス:目次へ ・次へ タソス島はエーゲ海の北の端に浮かぶ島です。 タソスがギリシア人のものになったのは、BC 650年頃と比較的遅いです。では、それまではこの島にどの民族が住んでいたかといいますと、それはフェニキア人だったということです。こんなと…

タソス:目次

都市一覧へ 1:フェニキア人のタソス タソス島はエーゲ海の北の端に浮かぶ島です。タソスがギリシア人のものになったのは、BC 650年頃と比較的遅いです。では、それまではこの島にどの民族が住んでいたかといいますと、それはフェニキア人だったということ…

サモス(20):ミュカレーの戦い

サモス:目次へ ・前へ このにらみ合いの均衡をやぶったのはサモスでした。というのは、駐留するペルシア軍や新たに僭主になったテオメストルの目を盗んで、ランボン、アテナゴラス、ヘゲシストラトスの3名のサモス人がデーロス島のギリシア連合艦隊のとこ…

サモス(19):ペルシア戦争

サモス:目次へ ・前へ ・次へ イオーニアの反乱は鎮圧されましたが、この反乱にアテーナイと、エウボイア島のエレトリアは援軍を出していました。ペルシア王ダーレイオスは、そのことを口実に、アテーナイとエレトリアを征服するための軍を派遣することにし…

サモス(18):ザンクレー奪取

サモス:目次へ ・前へ ・次へ アイアケスが僭主に復帰したのちのサモスの状況については、よく分かりません。ただ、アイアケスがサモスにやってくる前に亡命した人々がいたことをヘーロドトスは伝えています。 一方サモスでは、富裕な階級のものたちは、サ…

サモス(17):ラデーの海戦

サモス:目次へ ・前へ ・次へ 「イオーニアの反乱」の最後の決戦となるラデーの海戦が始まりました。 さてフェニキアの艦隊が攻撃に向ってくると、イオニア軍もこれに対抗すべく一列の縦隊となって船を進めた。両艦隊はやがて近接して交戦した(中略)。伝…

サモス(16):イオーニアの反乱

サモス:目次へ ・前へ ・次へ BC 498年、サモスとは目と鼻の先にある、大陸側の都市ミーレートスがペルシアに対して反乱を起しました。反乱の首謀者はミーレートスの僭主アリスタゴラスで、彼は本心はともかくミーレートスに民主政を宣言し、他の都市に対し…

サモス(15):スキュティア遠征への従軍

サモス:目次へ ・前へ ・次へ BC513年のこと、ペルシア王ダーレイオスはスキュティア(現在のウクライナ南部)へ攻め込みました。サモスも海軍の提供を要求され、僭主アイアケス自身がサモスの海軍を率いて従軍しました。 バビロンの占領後、ダレイオスは自…

サモス(14):ペルシア軍侵攻

サモス:目次へ ・前へ ・次へ ペルシアの将軍オタネスは、シュロソーンをサモスの支配者に据えるために艦隊を率いてサモス島に侵攻しました。 さてペルシア軍がシュロソンの復帰を目指してサモスに到着すると、これに刃向う者は一人もなく、マイアンドリオ…

サモス(13):シュロソーン

サモス:目次へ ・前へ ・次へ シュロソーンはポリュクラテースの弟でした。彼は兄ポリュクラテースがサモスの政権を奪取しようとした時にもう一人の兄とともに協力したのでした。しかし、その後まもなくポリュクラテースによって追放されてしまいます。追放…

サモス(12):マイアンドリオス

サモス:目次へ ・前へ ・次へ さて、話をポリュクラテースが謀殺された時点に戻します。ポリュクラテースを謀殺したオロイテスはその後サモス島を攻めたかといいますと、攻めてはおりません。それはなぜかといいますと、ちょうどこの頃、ペルシア王カンビュ…

サモス(11):ピュータゴラースと女神ヘーラー

サモス:目次へ ・前へ ・次へ 高野義郎著「古代ギリシアの旅:創造の源をたずねて」古代ギリシアの旅―創造の源をたずねて (岩波新書)作者:高野 義郎岩波書店Amazonで著者は、ピュータゴラースが居を定めた3つの都市の全てに女神ヘーラーの大規模な神殿があ…

サモス(10):ピュータゴラース

サモス:目次へ ・前へ ・次へ ポリュクラテース亡きあとに話を進める前に、彼の同時代人の話をご紹介したいと思います。ポリュクラテースが政権を奪取してそれほどたたない頃、サモスを去ろうとする人がいました。その人は今でも数学における「ピタゴラスの…

サモス(9):ポリュクラテース(3)

サモス:目次へ ・前へ ・次へ 幸運に恵まれ、栄華を享受していたポリュクラデースでしたが、アポローン祭典の挙行ののち、まもなくあるペルシア人によって殺されてしまったのでした。どのように殺されたのか、ヘーロドトスは マグネシアへ着いたポリュクラ…

サモス(8):ポリュクラテース(2)

サモス:目次へ ・前へ ・次へ さてギリシアで一番強いという評判のスパルタは、サモス人たちの要請を受け入れて(というのもこのサモス人たちはポリュクラテースによって戦場の捨て石にされることになっていたためにポリュクラテースに反旗を翻したからです…