神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモス(20):ミュカレーの戦い

このにらみ合いの均衡をやぶったのはサモスでした。というのは、駐留するペルシア軍や新たに僭主になったテオメストルの目を盗んで、ランボン、アテナゴラス、ヘゲシストラトスの3名のサモス人がデーロス島ギリシア連合艦隊のところに向かったからです。彼らはギリシア連合艦隊の指揮官たちに、サモスに進攻するように懇願したのでした。なお、このギリシア連合艦隊の総指揮官はスパルタ王レオーテュキデースでした。

 スパルタ人レオテュキデスに率いられたギリシア水軍が、デロスに来航してここに停泊しているとき、サモスからトラシュクレスの子ランボン、アルケストラティデスの子アテナゴラス、アリスタゴラスの子ヘゲシストラトスの三人が使者としてギリシア軍を訪れた。この三人は、ペルシア軍およびペルシア方がサモスの独裁者として擁立したアンドロダマスの子テオメストルには内密にして、サモス人が派遣したものであった。彼らはギリシア軍の指揮官たちに面接すると、ヘゲシストラトスがさまざまなことを長々と述べたてた。すなわち、イオニア人たちはギリシア軍の姿を見ただけで、ペルシアから離反するであろうし、ペルシア軍はとうていこれに抵抗できぬであろう。かりに抵抗するとすれば、ギリシア軍にとってこれほどの好餌はまたと得られぬであろう。そしてヘゲシストラトスは彼らが共通に尊崇している神々の名を呼び、同じギリシア人である自分たちを隷属の状態から救い出し、ペルシア人を撃退してほしい、とギリシア軍の指揮官たちを促した。彼がいうには、ギリシア軍にとってそれはた易いことである。なぜならペルシア軍の艦船は性能が悪く、とうていギリシア軍の敵ではないから、というのであった。そして自分たちとしては、もしギリシア方を罠にかけるのではないかとの疑惑をもたれるならば、人質として船に載せられてゆく覚悟もできている、といった。
 サモスからきたこの男が必死に嘆願したところ、レオテュキデスは――相手の言葉によって先のことを占うつもりであったのか、あるいはたまたま神がそのように仕向けられたのか――
「サモスから来られたお人よ、そなたの名はなんといわれる」
と訊ねた。相手がヘゲシストラトスであると答えると、レオテュキデスは彼がさらに言葉を続けようとするのを遮っていうには、
「そなたの名をよい前兆として受け取ることにしよう。サモスのお人よ。そなたもそなたに同行の諸君も、サモス人は熱意をもってわれわれに協力し敵に当ると信義を誓った上、引き上げるようにしてもらいたい。」


ヘロドトス著「歴史」巻9, 90~91 から

スパルタ王レオーテュキデースが「そなたの名をよい前兆として受け取ることにしよう」と言ったのは、ヘゲシストラトスという名前が「軍を案内する者」という意味だったからでした。


こんなわけで、ギリシアの海軍はサモスに航行することにしました。

 さて生贄がギリシア軍に吉兆を現わすと、ギリシア水軍はデロスを発ってサモスへ向った。やがてサモス島内のカラモイという場所の近くに着くと、ここにあるヘラの神殿の前面に碇泊し、海戦の準備にかかった。しかしペルシア軍はギリシア軍が接近してくるのを知ると、彼らもまた先に引き上げさせたフェニキア軍以外の艦船を本土に向けて出航させた。ペルシア軍は評議の結果、とうていギリシア軍に敵せぬと判断し、海戦を避けるのが得策であると考えたからである。そして艦隊を本土へ向けて引き上げたのは、クセルクセスの命によって遠征軍の中から後に残ってイオニアの警備に当っていた味方の陸上部隊が、ミュカレに駐屯していたので、その援護下に入ろうとしたのである。(中略)


ヘロドトス著「歴史」巻9, 96 から

上の引用にある「ヘラの神殿」というのは、たぶんサモス人が最も神聖な場所と考えるヘーラー神殿のことでしょう。ギリシアの艦隊はこの神殿の前面に碇泊したのでした。

 ギリシア軍はペルシア艦隊が本土へ去ったことを知ると(中略)本土に進攻することに決した。(中略)敵の陣営に接近しても誰ひとり向ってくるものの姿が見えず、艦船は防壁の内に揚げられており、海岸一帯には陸上部隊の大軍が陣しているのを見ると、レオテュキデスはまずできるだけ海岸に接近して自分の船を進めながら、イオニア人に向い触れ役の声で次のような布告を呼ばわらせた。
イオニア人諸君、この声の聞えるものはみな、私のいうことを心に留めてくれ。これから私がそなたらに指示することは、ペルシア人どもには全く判らぬのであるからな。われわれが戦いを交えることになったならば、そなたらは何よりも第一に自由ということを念頭に置かねばならぬ。それについてはわれらの合言葉『ヘラ』を忘れずにおいてもらいたい。この私の言葉を聞かなかったものには、聞いたものから知らせてやってほしい。」
 このようなことをした意図は(中略)つまりこの言葉がペルシア軍に知られずに済めば、イオニア人を説得することになろうし、またペルシア軍に通報されれば、ペルシア軍がギリシア人部隊に不信感を抱くであろう、というのである。


ヘロドトス著「歴史」巻9, 98 から


このレオーテュキデースの策は、すぐに効果を表しました。それにしても合言葉が「ヘーラー」であるのは、やはりサモスの主神ヘーラー女神にあやかったのでしょうか?

ギリシア軍が戦闘の配置につくと、ペルシア軍はギリシア軍が戦いの準備に余念なく、イオニア人にも働きかけたのを目(ま)のあたり見て、まずサモス人がギリシア方に心を寄せているのではないかと疑い、彼らの武装を解除した。


ヘロドトス著「歴史」巻9, 99 から


どうも、ミュカレーの防衛のためにペルシアによってサモスから呼び寄せられたサモス兵がいたようです。彼らは、武器を取り上げられてしまったのですが、それでもギリシア方に味方したのでした。

 戦いに出たサモス兵たちは、ペルシア人内で武器をとり上げられていたが、戦闘が始まる早々から、形勢が容易に定まらぬのを見て、ギリシア軍を援助するために、力の及ぶ限りの努力を尽した。他のイオニア人部隊もサモス人の率先した行動を目にして、彼らもまたペルシア軍に叛いて異国軍を攻撃したのであった。



ヘロドトス著「歴史」巻9, 103 から


こうしてサモスを始め、他のイオーニア都市もペルシアに対して反乱し、今度はそれに成功したのでした。その結果、サモスを始めとするイオーニア諸都市はペルシアの支配を脱したのでした。


サモスの歴史はまだまだ続きますが、ペルシアの支配を脱したこの時点で、私のサモスについての話を終えようと思います。お読み下さりありがとうございます。