神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スミュルナ(1):リュディア人のスミュルナ


スミュルナは、トルコ第3の都市イズミールにかつてあったギリシアの植民市です。現在の地名イズミールも、元の名前スミュルナに由来するそうです。



このスミュルナの起源ですが、ギリシア神話ではアマゾーン族の一人スミュルナーという女性がこのスミュルナを創建したとしています。また、エペソスの地区の中にスミュルナという地区があるそうで、これも同じアマゾーンのスミュルナーが創建したということです。エペソスについてはアマゾーン族の女王エポスが創建したという説もあり、もし両方の説を受け入れるならば、先にスミュルナーがエペソス内のスミュルナ地区を建設し、その後エポスがスミュルナ地区を含むもっと大きなエペソスを建設した、ということになるのでしょう。


アマゾーン族といった空想的な伝説ではなく、もう少し現実的な伝説はないでしょうか? それを探っていたところ、ヘーロドトスの伝える次のような伝説を見つけました。これはリュディア王国に関わる伝説ですが、その一か所にスミュルナの名前が登場します。リュディア王国というのはサルディスを首都とする、トルコの内陸部にあった国です。

 マネスの子アテュスが王の時に、リュディア全土に激しい飢饉が起った。


ヘロドトス著 歴史 巻1、94 から

この飢饉は18年間も続いたといいます。

 しかしそれでもなお天災は下火になるどころか、むしろいよいよはなはだしくなってきたので、王はリュディアの全国民を二組に分け、籤によって一組は残留、一組は国外移住と決め、残留の籤を引き当てた組は、王自らが指揮をとり、離国組の指揮は、テュルセノスという名の自分の子供にとらせることとした。


ヘロドトス著 歴史 巻1、94 から

つまり人減らしのために国民の半分を、住む土地を求めてさすらう移住の旅に出すことにしたのです。

国を出る籤に当った組は、スミュルナに下って船を建造し、必要な家財道具一切を積み込み、食と土地を求めて出帆したが、多くの民族の国を過ぎてウンブリアの地に着き、ここに町を建てて住み付き今日に及ぶという。彼らは引率者の王子の名にちなんで、リュディア人という名称を変え、王子の名をとってテュルセニア人と呼ばれるようになったという。


ヘロドトス著 歴史 巻1、94 から

ここでスミュルナの名前が登場します。スミュルナはリュディアの移住民たちが船出した港だというのです。この記事を素直に読めば、この時のスミュルナはリュディア王国の都市のように読めます。そうでなくても、スミュルナがリュディア王国に服属しているとか、少なくともリュディア王国に友好的な立場にあったのだ、と考えられます。


私は、この物語が想定している時代は、ギリシア人がスミュルナに到着するより前の時代だろうと、考えています。その理由は、この物語はその最初で時代を「マネスの子アテュスが王の時」と示しているからです。この時代の特定については、次回、ご説明したいと思います。