2019-01-01から1年間の記事一覧
サモス:目次へ ・前へ ・次へ (おそらく)BC 532年、ポリュクラテース、パンタグノス、シュロソーンの3兄弟が、ヘーラーの神域において祭典を行っているサモス人の主だった者たちを殺し、アクロポリスを占拠して政権を奪い取る、という事件がありました。…
サモス:目次へ ・前へ ・次へ では、話をサモスの歴史と伝説に戻します。 レーラントス戦争の終結の後、キンメリア人が馬に乗って東から小アジアに進入し、エペソスなどを襲った時に、海を隔てたサモスにはキンメリア人が襲ってくることはありませんでした…
サモス:目次へ ・前へ ・次へ 女神ヘーラーが本来、どのような神格であったのかについて、高野義郎著「古代ギリシアの旅:創造の源をたずねて」古代ギリシアの旅: 創造の源をたずねて (岩波新書 新赤版 780)作者:高野 義郎岩波書店Amazonが、示唆に富む説明…
サモス:目次へ ・前へ ・次へ サモスで有名だったのは、ギリシア神話で神々の王ゼウスの正妻とされるヘーラーに捧げられた巨大な神殿でした。この神殿はサモスの町の西6kmのところにありました。残念なことに今では上の画像のように柱が1本残っているだけ…
サモス:目次へ ・前へ ・次へ この頃サモスに、エジプトとの交易で財を成したコライオスという船主がいました。その人がいつものようにサモスからエジプトに航海している時に、船が東風に流されてリビア沿岸の近くにあるプラテア島という島に漂着しました。…
サモス:目次へ ・前へ ・次へ サモスが建設されたのち、サモスはイオーニア12市の同盟に参加しました。この同盟にはサモスのほかに、ミーレートス、ミュウス、プリエーネー、エペソス、コロポーン、レベドス、テオース、クラゾメナイ、ポーカイア、キオス…
サモス:目次へ ・次へ サモスは、ミーレートスの近くに浮かぶエーゲ海の島です。その島にピタゴリオという町がありますが、古代ではここが島の名前と同じサモスという名前の町でした。なぜ現代ではその町をピタゴリオになっているのかと言いますと、数学の…
都市一覧へ 1:サモス植民 サモスは、ミーレートスの近くに浮かぶエーゲ海の島です。その島にピタゴリオという町がありますが、古代ではここが島の名前と同じサモスという名前の町でした。なぜ現代ではその町をピタゴリオになっているのかと言いますと、数…
コース:目次へ ・前へ アレクサンドロス大王死後のBC 310年、アレクサンドロスの後継者を名乗る将軍プトレマイオスはエジプトでの王位を得、プトレマイオス1世と名乗り、同じく後継者を名乗るアンディゴノスからコースを奪い取りました。こうしてコースは…
コース:目次へ ・前へ ・次へ 前回の「ヒポクラテース(2)」の最後に引用したトゥーキュディデース「戦史」の文には、コースの町には城壁が元々なかった、という記述がありました。ということは、今まで外部からの脅威があまりなかった、ということでしょ…
コース:目次へ ・前へ ・次へ ヒポクラテースの名声は生前から高かったのですが、その生涯について詳しいことは伝わっていません。それで何か情報がないかと探してみたところ、哲学者プラトーンの対話篇のひとつ「パイドロス」にヒポクラテースの名前が登場…
コース:目次へ ・前へ ・次へ (アスクレーピエイオンの床のモザイク。左の人物がヒポクラテース) ヒポクラテースが生まれたのはBC 460年とされています。「(5)ペルシアへの服属」の最後のところで述べたBC 479年のプラタイアの戦いから、BC 460年まで…
コース:目次へ ・前へ ・次へ コース島はアスクレーピオス神殿、すなわちアスクレーピエイオン、で有名で、近隣から多くの人々が、病気を治すためにコース島のアスクレーピエイオンに参詣したことを以前の記事でご紹介しました。そのアスクレーピエイオンに…
コース:目次へ ・前へ ・次へ ドーリス人がコースを建設してから、ペルシアに服属するまでの歴史はよく分かりません。おそらくコースはBC 546年のサルディスの陥落からしばらくして自発的にペルシアに服属したようです。それまでコースは貴族政をとっていた…
コース:目次へ ・前へ ・次へ 病気を治す神として崇拝されたアスクレーピオスの物語は以下のようなものです。 アスクレーピオスの父親は神アポローンでした。母親はというとプレギュアースという者の娘のコローニスでした。通常の伝えではプレギュアースは…