神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモス(10):ピュータゴラース

 ポリュクラテース亡きあとに話を進める前に、彼の同時代人の話をご紹介したいと思います。ポリュクラテースが政権を奪取してそれほどたたない頃、サモスを去ろうとする人がいました。その人は今でも数学における「ピタゴラスの定理」で知られるピュータゴラースでした。この人は哲学者でもあり、いく分、新興宗教の教祖のようなところもありました。ピュータゴラースがサモスから去ろうとしたのは、伝説によれば独裁化したポリュクラテースを嫌ってのことだということです。


ピュータゴラース


 ピュータゴラースはサモス人で、印章彫り師のムネサルコスの子でした。長じるとレスボス島に移住し、そこにいた叔父のゾイロスから紹介された智者ペレキュデスに弟子入りしたということです。このペレキュデスについては次のような信じられないような話が伝えられています。

彼については数多くの驚嘆すべき話が伝えられている。すなわち、彼がサモス島の海岸を歩いていたとき、一隻の船が順風を受けて進んでいるのを見て、この船は間もなく沈むだろうと言ったのだが、事実そのとおり彼の眼の前で沈んでしまったのである。また、彼は井戸からくみ上げられた水を飲んでいて、三日目に地震が起るだろうと予言したが、実際にそのとおりになった。



ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第1巻第11章「ペレキュデス」より

 この話からするとペレキュデスというのは智者というよりかは予言者のようです。ピュータゴラースはペレキュデスの死後サモス島に戻りましたが、真理を求めてギリシア各地を巡り、さらにはエジプトをはじめとする異国の地へも赴き、そこで行われる宗教上の秘儀に参加させてもらったということです。このことから、彼の教祖的な性格が見えてきます。彼がエジプトに滞在していた頃に、サモスの政権を奪取したポリュクラテースが彼を当時のエジプト王アマシスに紹介したということです。

彼は、また若くて好学心に燃えていた頃に、故郷を後にして旅に出、ギリシアばかりでなく異国の地の秘儀にもすべて加入したのだった。
そういうわけで、彼はエジプトに滞在していたことがあるが、ポリュクラテスが書状によって彼を(エジプト王)アマシスに紹介したのはその時期のことである。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第8巻第1章「ピュタゴラス」より

ポリュクラテースはアマシスに、自分の治める国を出身とする賢者を自慢したかったのかもしれません。あるいは、エジプトに伝わる古代の叡智をピュータゴラースが学ぶことが出来るようにアマシス王に援助を願ったのかもしれません。エジプトでも古代の智慧を学んだのち、ピュータゴラースはサモスに戻りました。そこで彼が見たのは、ポリュクラテースの権力が異常に強くなって自由が失われている祖国でした。

その後、彼は再びサモス島へ戻ったが、祖国がポリュクラテスによって独裁的に支配されているのを見ると、イタリアのクロトンへ向かって船出した。そしてその地において、(ギリシア系)イタリア人たちのために法律を制定してやったので、彼は弟子たちとともに高い名声を博した。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第8巻第1章「ピュタゴラス」より

 さて、ピュータゴラースの教説はなかなか要約が難しそうです。その教説の一面には数の重視があります。ピュータゴラースは万物の根源に「数」を見たのでした。有名な直角三角形のピタゴラスの定理は、このような文脈に属するものでしょう。この「数」は「比例」ということにも関わってきます。そしてそれは音楽にも関わってきます。というのは2つの弦の長さの比が1:2であれば、それらの弦をかき鳴らした時の音はオクターブになります。2:3や3:4の比にした場合に、美しい和音になります。「比例」と「音」と「調和」という概念の間に関係が構築されます。このような比例関係がさまざまな事物の間に存在することをピュータゴラースは想定していたようです。また、10という数を神聖な数と考えていました。この10はただの10ではなく、1+2+3+4=10としての10でした。そのことを表すために、下のような図形を作って崇めていました。


 この数の重視とどういう関係があるのか、今ひとつはっきりしませんが、仏教のような輪廻転生もピュータゴラースは説いていました。それは死んだのち別の人間に生まれ変わる、というだけでなく人間以外の動物にも生まれ変わることがある、と考えていたようです。そこから肉食に対する否定的な見解(禁止するまで徹底はしていなかったようです)も導き出されています。このような考えは古代ギリシアでは珍しいことでしたので、他の人びとから、からかわれたようです。

クセノパネスは、彼について次のように述べているのである。
 そしてあるとき彼は、仔犬が杖で打たれている傍を通りかかったとき、
 哀れみの心にかられて、次のように言ったということだ。
 「よせ、打つな。それはまさしく私の友人の魂なんだから。
 啼き声を聞いて、それと分かったのだ」


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第8巻第1章「ピュタゴラス」より

 ピュータゴラースが名声を博したのは彼がクロトーンに移住してからのことなので、ピュータゴラースは全体としてはあまりサモスには関係ないかもしれません。しかし、私が読んだ本、高野義郎著「古代ギリシアの旅―創造の源をたずねて」

によれば、ピュータゴラースの教説とサモスのヘーラー女神への信仰との間には深いつながりがあるというのです。この説が興味深いので、次はこの説についてご紹介します。