神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(8):イオーニアの反乱

キオスがペルシアの支配下に入ってから40年ほどたった頃、キオスの僭主はストラッティスという者でした。もちろん、ペルシアの後ろ盾で僭主になった者です。彼はペルシア王ダーレイオスの命を受けて他のペルシア支配下ギリシア諸都市の軍勢とともに、キオスの海軍を率いてペルシアのスキュティア遠征に従軍しました。スキュティアというのは、今のドナウ河の北側、ウクライナあたりの地方です。

この遠征については「ミーレートス(16):ドナウ河の船橋」と「ミーレートス(17):ダーレイオスの退却」でご紹介しました。ここでは手短にお話しします。


ダーレイオス率いるペルシア軍はスキュティアの地で窮地に陥り、退却することにしました。一方、キオス、ミーレートスミュティレーネーなどのギリシア人部隊は、ドナウ河に作った船橋(=船を並べ、その上に構築した橋)を守るようにダーレイオスから命ぜられていました。スキュティア人たちは退却するペルシア軍を先回りしてギリシア人部隊のところに行き、橋を壊して自分たちの故国に帰るように勧告しました。そうすれば、ペルシア軍はスキュティアに閉じ込められ、ギリシア人たちはペルシアの支配を脱することが出来るだろう、というのです。この時、ヘレースポントス地方のケルソネーソスの僭主ミルティアデースは船橋の破壊に賛成の意見を述べたのですが、ミーレートスの僭主ヒスティアイオスは、自分たちがそれぞれの国で支配者の座に着いていることが出来るのはペルシアのおかげである、ペルシアの力が弱まれば自分たちの地位が危なくなる、と言って反対しました。キオスの僭主ストラッティスを始めとするその他のギリシア人僭主たちは、ヒスティアイオスの意見に賛成したので、船橋は破壊されなかったのでした。そのため、やがてやってきたペルシア軍はその船橋を渡って、スキュティアから退却することが出来たのでした。


その後の話も「ミーレートス(17):「イオーニアの華」の時期」と「ミーレートス(18):イオーニアの反乱のきっかけ」でご紹介しているので、ここでは短めにします。


その後、ヒスティアイオスはダーレイオス王のお気に入りとなり、ミーレートスを離れてペルシア王国の首都スーサに呼ばれることになりました。ミーレートスの僭主の座は、ヒスティアイオスの娘婿のアリスタゴラスが引き継ぎました。


このアリスタゴラスが、あるきっかけが元になって、ペルシアと協力してナクソス島を征服することを計画しました。これにはキオスのストラッティスも協力しました。ミーレートスを出た艦隊は、ヘレースポントスに向うと見せかけてキオス島に寄航しました。そしてそこから方角を変えてナクソス島に向うはずでした。

しかし、キオス島にいる間にアリスタゴラスとペルシアの将軍でダーレイオス王の従兄弟でもあるメガバテスが仲たがいし、それがもとでメガバテスがこの計画をナクソス人に通報してしまったのです。

実際ナクソス人は、今度の遠征が自分たちを目指しているものであるとは、夢にも考えていなかった。しかしそうと知るや、すぐに城外にある物資を城壁の内へ移し、籠城の覚悟をきめて食糧と飲料を用意し、城壁の補修を行なった。
 ナクソス側はこのように、戦争必至とみて準備を怠らなかったので、遠征軍が船隊をキオスからナクソスに進めたときには、すでに防備を整えた相手に立ち向かわねばならなかったわけで、かくて包囲戦は四カ月にわたって続いた。やがてペルシア軍の用意してきた軍資金は底をつき、これに加えてアリスタゴラス個人の出費も多額に上り、包囲を続けるためには、更に多額の戦費を必要とする事態になるに及んで、遂に遠征軍は(中略)惨憺たる状態で大陸へ引き上げていった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、34 から

自分が企画した遠征に失敗したアリスタゴラスは、ペルシア側から遠征費用を請求されて窮地に陥り、またメガバテスとの不和が自分に不利に働くのではないかとも思い、いろいろ悩んでいるうちにペルシアへの反乱を決心します。この反乱にミーレートスだけでなくイオーニア全体を巻き込むためにアリスタゴラスは、反ペルシアに加えて反僭主・民主化のスローガンを掲げました。自分がペルシアの後ろ盾でミーレートスの僭主になっているのにかかわらず、です。そして、民衆にそれを信じさせるためにミーレートスに民主制を宣言し、さらに、ついさっきまで自分に協力してナクソス遠征に参加してくれた各国の僭主たち、彼らはこの頃ナクソスから戻ってミーレートス近辺に滞在していたのですが、その彼らを逮捕して、それぞれの国(=町)に引き渡したのでした。この政変にびっくりした各都市の市民たちは、反ペルシア、反僭主で立ち上がり、ミーレートスに軍勢を派遣したのでした。これがイオーニアの反乱です。BC 499年のことでした。


ここからは私の推測ですが、キオスの僭主ストラッティスもアリスタゴラスによって逮捕され、キオスに引き渡されたようです。しかし、キオスの人々はストラッティスを放免したようです。そして、ストラッティスはペルシア側に身を寄せたと思われます。