神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

デーロス島(12):繁栄と滅亡

デーロス島が一番繁栄したのは、これよりあと、アレクサンドロス大王が若くして死んで、その帝国が後継者たちによって分割され、互いに覇を争っていたヘレニズム時代と、西方からやがて勢力を増してきたローマに支配され始めた時代でした。今、残っている遺跡はこの頃のものが多いようです。

(エジプトの女神イシスを祀った神殿(BC 2世紀))



ヘレニズム諸王国(アンティゴノス朝マケドニアセレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトなど)のどの国がデーロスをいつからいつまで支配したかを私は述べる能力がありません。「デーロス島(10):デーロス同盟」のところで少し述べたように、ギリシアの古典期には神殿の宝物庫が金庫の役割をはたしていたのですが、それがヘレニズム時代になると銀行のような役割をはたし始め、その融資によって貿易業などの商業が発達したのでした。BC 2世紀の初めにはデーロス島マケドニア王フィリップ5世の支配下にありました。このフィリップ5世がBC 197年ローマと戦い(キュノスケファライの戦い)、ローマに負けたことによってデーロスはローマの支配下にはいります。貿易港としてデーロスをロドスに対抗させるローマの政策によりBC 167年、デーロスは関税を要求されない自由港になり、商業がより発展します。BC 146年ギリシア有数の商業中心であったコリントス市をローマが破壊したことでデーロスの貿易港としての地位はエーゲ海随一になり、多数の外国商人がデーロスに住居を持つようになります。



(左:クレオパトラの邸宅にある彫像)



(上:クレオパトラの邸宅(エジプト女王のクレオパトラとは無関係))


さて貿易の発展とともに、聖地には似つかわしくないものまで売られるようになりました。それは人間です。つまりデーロスに奴隷市場が出来たのでした。ローマ(まだこの頃は帝国ではなく共和国)の急速な発展とともにイタリア半島の各都市の富裕層の間で奴隷の需要が高まってきたのです。デーロスにあるイタリア人のアゴ(=市場)は、巨大な奴隷市場でした。BC 1世紀の地理学者兼歴史家のストラボンは「デーロスでは毎日1万人の奴隷が売られていた」と述べています。しかし、以下の記事が示すように、それを文字通りに受け取る必要はなさそうです。

(上:イタリア人のアゴラ)

 悪名高いイタリア人のアゴラは、巨大な奴隷市場であった。ヘレニズム王国間の戦争は奴隷の主な源泉であったが、海賊(彼らはデーロス港に入る際に商人の地位を身に着けた)もそうであった。ストラボン(XIV、5,2)が、毎日1万人の奴隷が売られていると述べている時、その数は著者が「多くの」という言い方である可能性があるため、この主張にはニュアンスを加える必要がある。さらに、これらの「奴隷」の多くは、しばしば戦争捕虜(または海賊に拉致された人)であり、彼の身代金は下船時にすぐに支払われた[71]。



英語版Wikipediaの「キクラデス諸島の歴史:2 幾何学文様時代、アルカイック時代、古典時代。2.4 ヘレニズム時代」の項目より

毎日1万人は大げさかもしれませんが、それにしても奴隷に売られる人々の心情はどのようなものだったのでしょうか。青い空、青い海、白い大理石の建物を背景として、アポローンの神聖な島で、よりによって奴隷として売られるというのは、背景が明るく形象が明晰なだけに、ギリシア悲劇をそのまま地で行っているような余計過酷な光景に思えます。この頃のデーロス島には不敬な者も多かっただろうと想像します。


その傲慢の罰なのか、デーロスはその後100年前後のうちに滅亡します。
今のトルコ東北部からジョージアにかけてポントス王国という国がありました。BC 88年、この国の王ミトリダテス6世が今のトルコのエーゲ海沿岸にあるローマの属領を占領してローマ人を殺害し、さらにエーゲ海に進出しようとしました。その際にミトリダテスは「ローマからギリシアを解放する」という口実を使いました。これにアテーナイ始め多くのギリシアの諸都市が賛同しましたが、デーロスはローマの味方をしました。するとミトリダテスはデーロスを懲罰すると称して自分の軍隊にデーロスを2回に渡って破壊させたのです。このためデーロスの人口は大きく減少してしまいました。ミトリダテスは最終的にはローマとの戦争に敗北し、エーゲ海の支配権はローマに戻るのですが、その後、貿易ルートの変化という出来事もあって、デーロスは急速に衰退していきました。もともと人が住むのに適していない土地だった上、近くにミコノスというもっと居住に適した島があったため、デーロスは紀元前が終わるまでに放棄され、無人になったのでした。そして1872年にフランス人が遺跡を発掘するまでこの島は忘れられた存在になっていたのでした。