このブログは、取り上げた都市について、伝説と歴史の交じり合う時代からギリシア古典期までの話を紹介する意図で始めたのですが、デーロス島については古典期の歴史の話があまり見つかりません。アポローンの聖地だけに神話伝説については現代までいろいろ伝わっているのですが・・・。それというのも、この島が人間の居住に適さないために、歴史に爪痕を残すに足るだけの事件を起こすことが出来なかったためではないか、と思います。
現代のデーロス島について楠見千鶴子著「癒しの旅 ギリシア・エーゲ海」は以下のように描写しています。ここからもデーロス島が小さな島であることが分かると思います。
エーゲ海の風と野の花と、遺跡のほかには何もない、それがアポロンの島デロスである。人間の快楽のためにだけあるようなミコノス島と、みごとな一対をなしているといってよい。
デロスとミコノス両島の間は、わずかに20km(これはたぶん間違い。地図で見ると3kmぐらいしかない)。地図でみると、デロスはミコノスの西に、ようやく形をとどめるほどに載る小さな島だ。南北に5km、東西は1.3km。島内にはホテルも民家もなく、現世の建物といえば研究者宿泊用の狭い施設とミニ博物館のみ。車は一切乗り入れ禁止で、公共機関もないし、むろん商店もない。
かわりに、ほとんど全島、山の上までぎっしりと遺跡におおわれ、その間に探索の小径が続いている。
島が小さい上に、土地が農作にも牧畜にも適していないのでした。そのことは、「デーロス島(2):アポローンの誕生」でご紹介したように「アポローンへの讃歌」でも
デーロス島のことをお前が牛や羊に富むようになるとは思えない。穀物も実らず、草木すら乏しいではないか。
と歌っていたのでした。その上、(上の地図を見れば分かるように)近くにはミコノス島という居住に適した島があるのでした。
そういうわけであまり伝説の時代から古典期までをあまり連続して語ることが出来ないのですが、ともかく伝説についてもう少し語っていくことにします。
「デーロス島(1)」で紹介したアエネーイスに登場する、デーロスの王にしてアポローンの神官をも兼ねるアニウスについて、どんなことが語られているでしょうか。前にも引用しましたが、ここでもアエネーイスを短めに引用します。
島の人らの王であり、アポローンの司祭をもかねる王のアニウスは、
額に花綵の飾りつけ、月桂の樹を鬢に帯び、われらの方へかけつけて、
アンキーセス*1にその古い友を見出し、
われわれは右手をたがいに握りあい、その宮殿にはいります。
このアニウスはデーロスの初代の王と伝えられています。このアニウス(これはラテン語での言い方。ギリシア語では「アニオス」)については、高津春繁著「ギリシア・ローマ神話辞典」には以下のように書かれています。
アニオス
- アポローンの子、デーロス王。母ロイオーの父スタピュロス(《葡萄の房》の意)はディオニューソスの子孫。娘がみごもった時、怒って箱に入れて海に流した。箱はエウボイア島に漂着、子供が生れると、アポローンは母とともにデーロスに住まわせ、その支配者にした。ドーリッペーとのあいだにエライス、スペルモー、オイノー(《オリーヴ》、《麦》、《葡萄》の意)の、オイノトロポイ《葡萄づくり》と呼ばれる三女を得た。三人はそれぞれオリーブ、麦、葡萄を地より芽生えさせる力をディオニューソスから授かった。トロイア戦争のとき、彼らはギリシア軍に頼まれて、食糧を供したが、のちこれに疲れて逃げ、ギリシア人に追われ、ディオニューソスに願って鳩となった。デーロスで鳩の殺生が禁じられているのはこのためである。アニオスはそののちアイネイアースを歓待する。
この記事の最後にある「アニオスはそののちアイネイアースを歓待する。」というくだりは、先に引用したアエネーイスの詩節を指しています。ギリシア軍の攻撃によって陥落したトロイアを逃れ、トロイアの民を引き連れて新たな居住地を求めエーゲ海をさまようアイネイアースは、ひと時デーロス島を訪れたのでした。