神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(23):ミノアの女神たち

クノッソスを始めとするミノア文明の遺跡では、宗教に関する遺物が多く発掘されているのですが、線文字Aが解読されていないために、神名を始めさまざまなことが不明のままです。それでもミノアの宗教では女神たちが重要な位置を占めていたことが推測されています。のちのギリシア神話の中にも、クレータから来た女神や、神的な女性の話が散見されます。その一例がブリトマルティスという女神です。

ブリトマルティス
クレータの女神。ソーリーヌスによれば、この名はクレータ語で「甘美な乙女」の意。ゼウスとカルメーの娘のニンフ。ミーノースが彼女を愛して、九カ月間そのあとを追ったが、ついに彼女は断崖より身を投げ、漁夫の網(ディクテュオン)にかかって、救われた。これは女神の称呼ディクテュンナの説明神話である。一説には彼女が狩猟の網の発明者であるため、また彼女が狩のあいだに網にかかり、アルテミスに助けられたためであるとする。のち、彼女はアイギーナ島に遁れ、アルテミスの保護をうけ、同地でアパイアーなる名のもとで崇拝された。ときにアルテミスと同一視されている。


高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」の「ブリトマルティス」の項より

ソーリーヌスというのはAD 3世紀初めに活躍したラテン語の文法学者、地理学者、編纂者だということです。その彼によればブリトマルティスとは「甘美な乙女」という意味だそうですが、これは反語的な名前で本来はゴルゴーンのような恐るべき女神だそうです。


(左:ゴルゴーン)


この女神はクレータ島からアイギーナ島へやってきたのですが、ほかにもクレータからやってきた女神たちとしてダミアーとアウクセーシアーがいます。

ダミアーとアウクセーシアー(トロイゼーン人も彼女たちの崇拝を分かち合う)については、彼ら(=トロイゼーン人)はエピダウロス人やアイギーナ人と同じ説明をせず、彼女たちがクレータ島から来た娘たちであったと言います。市内で暴動が起こり、この乙女たちも対立する派によって石打ちによって殺されたと彼らは言います。そして彼らは石投げと呼ぶ彼女たちに捧げる祭を開催します。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.32.2より

上の記事では、ダミアーとアウクセーシアーは普通の人間の娘のように書かれていますが、ヘーロドトスは彼女たちをはっきり女神たちと書いていました。

エピダウロス穀物の不作に悩んでいたことがあった。そこでエピダウロス人は、この天災についてデルポイの神託を伺ったのである。巫女はダミア、アウクセシア二女神の神像を奉安せよと告げ、そうすれば事態は好転しようといった。そこでエピダウロス人が、神像は青銅製にすべきか、それとも石材を用いるべきかと訊ねたところ、巫女はそのどちらも宜しからず、栽培したオリーヴの材を用いよと告げた。


ヘロドトス著「歴史」巻5、82 松平千秋訳 から


さらには、これらの女神たちよりはるかに有力な女神であるデーメーテール(大地と穀物の女神)が人間の老婆に化けて、偽りの身の上話をする際に、自分はクレータからやってきたと話をしています。これは、本当にデーメーテールが(あるいはデーメーテールの前身となったクレータの女神が)クレータから伝来したことを反映しているのかもしれません。

すると母神(=デーメーテール)は言葉を返した。
「女の族(うから)の中の誰かは知らぬが、娘たちよ、ごきげんよう。あなたがたにはお話ししましょう。お尋ねになったうえは、本当のことを話すのが良いでしょう。
 私の名はドーソー――それが母のつけてくれた名前です。それがこうしてクレタから、海の広い背を渡りやってきたのは、みずから望んだことではありません。嫌がる私を力ずくでむりやり、海賊たちがさらったからです。やがて彼らが脚速い船をトリコスに着けると、女たちも海賊たちとともどもみな陸に上がり、船のともづなの脇で食事の支度を始めました。
 しかし私は心弾む夕餉に惹かれることもなく、こっそり抜け出すと、黒い大地を渡り、いたけだかな主人たちが只で手に入れたこの私を売りとばして、金を手にすることなどできないよう、逃げてきたのです。


岩波文庫「四つのギリシア神話―「ホメーロス讃歌」より―」の「デーメーテールへの讃歌」逸見喜一郎訳 より


(上:クノッソスで出土した女神と、女神を崇拝する女性たちを描いたと思われる黄金の印章)