神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(2):ブーノスからメーデイアまで


(上:アクロコリントス


ある伝説では、ブーノスとメーデイアの間には何人ものコリントス王が存在したことになっています。それによれば、ブーノスの死後、エポーペウスが王位を継承しました。エポーペウスは当時シキュオーンの王だった人物で、ブーノスの死後、シキュオーンとコリントスの両方の王になったのでした。エポーペウスにはマラトーンという息子がいましたが、何かの原因で不当にもマラトーンを追放してしまいました。マラトーンはアッティカ(アテーナイを中心とする地方)に亡命し、彼の住んだ地は彼にちなんでマラトーンと呼ばれるようになりました。のちにアテーナイが侵略してきたペルシア軍とマラトーンの戦いを行なった地です。マラトーンにはすでにコリントスとシキュオーンという二人の息子がおり、息子たちも父と一緒に亡命しました。


一方、エポーペウスはテーバイから逃げて来たアンティオペーという女性を保護しました。アンティオペーはテーバイの摂政ニュクテウスの娘でしたが、ゼウスによって身ごもったため、父親を恐れて逃げてきたのでした。父親のニュクテウスは娘の妊娠を嘆き、弟のリュコスにアンティオペーを罰するように頼んで自殺してしまいました。新たにテーバイ王になったリュコスはアンティオペーを連行しようとしてコリントスを攻めてきました。この戦いでエポーペウスは討たれて死にました。ゼウスの子(実は双子の男の子でした)を身ごもったアンティオペーはテーバイに連れ去られました。連れ去られる途中でアンティオペーは双子を生みますが、リュコスによって双子は棄てられてしまいます。その後のアンティオペーと双子の男の子の運命が気になるところですが、話がコリントスから離れてしまいますので、コリントスに話を戻します。


エポーペウスの死を知ったマラトーンは息子たちを連れてコリントスに戻りました。マラトーンの死後、コリントスコリントス王に、シキュオーンがシキュオーン王になりました。この時までエピュラと呼ばれていたコリントスコリントスという名になったのはこの時からです。コリントスが死んだ時には彼に後継者がいなかったため、この時にイオールコスに住んでいたメーデイア、古いコリントス王であったアイエーテースの娘であるメーデイアコリントス人たちは王として呼んだということです。アイエーテースは何代も前のコリントス王なので、その娘がまだ生きているのは年代的に整合が取れないですが、伝説なのでそんなこともありなのでしょう。それにアイエーテースには太陽神ヘーリオスの息子でしたから、人間というよりも神に近かったかもしれません。そのために長命だったのかもしれません。


伝説はさらに混乱していて、コリントスのあとを継いだのはメーデイアではなくシーシュポスであるという説もあります。ここではメーデイアが呼ばれたという説に従うことにします。コリントスにおけるメーデイアの話の古いバージョンが前回の最後に紹介したBC 8世紀の叙事詩人エウメーロスが伝えている話です。

紀元前八世紀中頃の叙事詩人エウメーロスの『コリントス物語』から運よく伝存する一断片によると、太陽神(ヘーリオス)がコリントスをわが子アイエーテースに与え、アイエーテースは自分の子か婿か或いは自分自身が帰って来るまで、コリントスをブーノスにあずけたことになっている。その後、メーデイアコリントス人がイオールコスから呼び寄せ、彼女は夫と共にこの国を支配していた。疫病が襲った時、彼女はデーメーテールとニンフたちに犠牲を捧げて、これをはらった。ゼウスが彼女に恋したが、メーデイアは(ゼウスのお妃の)ヘーラー女神の怒りを恐れて、これを拒んだので、ヘーラーはその返礼に彼女の子供たちを不死にしてやろうと約束した。それでメーデイアはすべての子供をヘーラーの神殿に隠したが、子供たちは死んでしまった。なぜこうなったのか、その間の事情は明らかでない。イアーソーンはこの彼女の仕業を怒り、彼女の願いを耳に入れず、イオールコスに去り、メーデイアも亦コリントスから立ち去った。


高津春繁著「ギリシア神話」より


(右:女神ヘーラー)


断片的な話なので筋がよく分かりません。不死にあることを約束されたはずのメーデイアの子供たちがどうして死んでしまったのでしょうか? 話が失われているので本当のところは分かりませんが、私はメーデイアが何かの過失をおかしたためだったと想像します。というのは大地と農業の女神であるデーメーテールにまつわる話がこれに似ているからです。この話はエレウシースの祭儀の由来譚の一部です。デーメーテールがある時、人間の老婆の姿で密かにエレウシースの王ケレオスの家に乳母として入ったことがありました。その時デーメーテールはケレオスの生れたばかりの息子デーモポーンを養育したのですが、女神は夜になるとデーモポーンを不死にするために、密かに彼を火の中に置いたのでした。しかし、ある時デーモポーンの母親メタネイラがその光景を見て驚きの声を上げました。それに怒った女神は、神としての本来の姿をメタネイラに現わし、お前の愚かしさゆえに、この子は不死になることを阻まれた、と告げました。この話ではデーモポーンは死ぬことはなかったのですが、女神によって不死になることが失敗した例として連想しました。上のメーデイアの話でも似たような筋ではなかったかと思います。


ところで、このメーデイアの話は古典期には彼女が自ら自分の子供たちを殺す、という話に変ってしまいます。そしてその話のほうが有名になっています。次はその話を紹介します。