神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(8):アンティオペー

さて、ベレロポンテースの息子ヒッポロゴスのそのまた息子がグラウコスで、このグラウコスはリュキアの王として、トロイア戦争トロイア側として参戦しています。

さて、ヒッポロコスが私(=グラウコス)を設けた、憚りながら彼から私は生れた者。
それで、私をトロイエーの地へとさしつかわしたが、いとくさぐさの訓えを授け、
つねに勇戦して功(てがら)を立て、他の者らに抜きん出よ、また
父祖の家名を恥ずかしめるなと言い含めた・・・


ホメーロス 「イーリアス 第6書」 呉茂一訳 より


こうして話はトロイア戦争まで来ましたが、同時にコリントスから遠いところまで来てしまいました。話をコリントスに戻したいと思います。シーシュポスのあと、コリントスでは誰があとを継ぎ、トロイア戦争の頃は誰が王だったのでしょうか? このあたりの話はあまりはっきりしていないのですが、シーシュポスの息子オルニュトスがコリントスの王位を継いだようです。彼は最初ポーキスに行って、そこに王国を作ったのですが、その後コリントスに戻り、王位を継ぎました。彼には2人の息子があり、長男のポーコスをポーキスに残し、その地方は彼の名にちなんでポーキスとなったということです。ポーコスは、アンティオペーを妻にしたというのですが、このアンティオペーというのは「(2):ブーノスからメーデイアまで」で登場した人物です。彼女はテーバイの人でしたが、ゼウスによって身ごもったため、父親を恐れてテーバイからコリントスに逃げてきたのでした。そして、その時のコリントス王はエポーペウスでした。これではポーコスととても世代が合いません。それでも伝説の語るところを記してみましょう。


(2):ブーノスからメーデイアまで」では、テーバイ王リュコスはアンティオペーを連行しようとしてコリントスを攻めてきて、アンティオペーをテーバイに連れ去ったところまでお話ししました。連れ去られる途中でアンティオペーは双子を生みますが、リュコスはこの双子を棄ててしまいます。アンティオペーはテーバイでリュコスの妻のディルケーによっていじめられ、惨めな暮らしをします。一方、捨てられた双子(彼らの父親はゼウスでした)は、そこに住む牛飼いが見つけて拾い、この牛飼いによって育てられました。双子はアンピーオーンとゼートスと名付けられました。二人は自分たちの母親がひどい目にあっていることを知らずに育ちました。二人が青年になった頃のある日、アンティオペーを縛っていた鎖がほどけ、アンティオペーはかつて双子が捨てられた場所に向いました。そこで成人した二人の息子に出会い、話し合ううちに自分たちが母と子であることが分かります。アンピーオーンとゼートスはディルケーを殺し、リュコスをテーバイから追放しました。二人はディルケーを牡牛の角に縛り付けて牛を暴れさせて殺したといいます。一説には、もともとディルケーが酒の神ディオニューソスの信徒たちと一緒にアンティオペーを、牡牛の角に縛り付けて殺そうとしていた時に、アンピーオーンとゼートスがアンティオペーを助け、逆にディルケーを縛り付けたということです。しかし、ディルケーはディオニューソスのお気に入りだったため、ディオニューソス神によってアンティオペーは狂わされました。そして彼女はギリシア中をさまよいましたが、最後にポーコスがその狂気を直し、二人は結婚したということです。

(上:アンピーオーンとゼートスがディルケーを牛の角に縛り付けようとしている)



さて、ポーコスの弟のトアースは、父親のオルニュトスと共にコリントスに戻り、オルニュトスの死後コリントス王になりました。このあたりになると断片的な話しか伝わっていません。トアースの息子ダーモポーンの時にヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの子孫たち)が攻めてきたといいます。ヘーラクレイダイが攻めてくるまでの時代の、コリントスに関する伝説の断片を拾い上げていきます。


まずヘーラクレースが退治した者のなかにコリントス地峡に住んでいたというアルキュオネスという巨人がいます。彼はヘーラクレースの持つ棍棒で打ち殺されてしまいました。神話時代のコリントス地峡にはいろいろ悪人がいたとみえて、若きテーセウスが退治したシニスもコリントス地峡に住んでいました。シニスは力持ちで、2本の松の木を曲げて、その間に通りかかった旅人を結びつけたあと、手を放して旅人を裂き殺すという猟奇的な殺人魔でした。そのためにシニスは「松曲げ男」と呼ばれて人々から恐れられていました。まだ若くて無名だったテーセウスはシニスを、今までシニスがやってきた方法で殺してしまいました。この時、テーセウスは生まれ育ったトロイゼーンから、父親のいるアテーナイに向う途中でした。テーセウスがコリントス地峡を越えて次に入ったのがメガラ領です。さて、ここにも悪人がいました。その名をスケイローンといい、旅人に自分の足を洗わせておき、洗っている最中に海中に蹴落すという、何のためにこんな悪事を働くのかよく分からない悪人でした。しかもその海には大亀がいて、そいつが落ちてきた旅人を食っていたといいます。このスケイローンもテーセウスに退治されましたが、彼もコリントスの人だったといいます。もっともメガラ人はスケイローンメガラの人であり、悪人ではなく、メガラの軍事指導者だったといいます。