神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(10):ヘーラクレイダイの侵攻(2)

アルゴスの君侯の一人であったアルクマイオーンは、母親を殺したため、復讐の女神(エリーニュス)たちに追われて諸国をさまよっていました。彼が母親を殺さざるを得なかったことに関しては、女神ハルモニアーのペプロス(女性用の長い衣)の呪いに関する複雑な話があるのですが、ここでは述べないことにします。さて、アルクマイオーンはそのさすらいの途中でテーバイの予言者テイレシアースの娘マントーに出会い、二人の間には息子アンピロコスと娘ティーシポネーが生れました。しかし、復讐の女神たちに追われたために、ちゃんとした生活を営むことが出来なかったようで、この2人の子供をコリントスクレオーン王に預けました。コリントスで2人の子供は成長していったのですが、娘のティーシポネーの美貌はコリントスの王妃の注意を惹きました。このような美しい娘に夫はやがて夢中になるだろうと王妃は恐れました。そして王妃はティーシポネーを奴隷に売ってしまいました。このティーシポネーを実の父親のアルクマイオーンが実の娘とは知らずに奴隷として買い、身の回りの世話をさせていました。この頃にはアルクマイオーンは罪を清められて復讐の女神たちの追跡もなくなっていたので、自分の子供たちを引き取ろうと考えました。そしてアルクマイオーンはクレオーン王のところへ行き、息子と娘を返して欲しいと要求しました。ところが娘が奴隷に売られてしまっていません。そのあと、どのようなことが起きたのかよく分かりませんが、最後には自分の使っていた奴隷が実の娘であることが判明して、ハッピーエンドになる、という筋だったそうです。


この話に登場するコリントスクレオーンという名前は、いい加減につけられた名前のように思えます。以前、メーデイアコリントスにやってきた時もコリントス王の名前はクレオーンでした。しかし、世代から考えて二人のクレオーンが同一人物のはずがありません。この頃のコリントスについては明確な筋を持つ伝説はなさそうです。


一方、ヘーラクレイダイのほうはと言いますと、ヒュロスのひ孫であるテーメノスが中心になってドーリス人とともにペロポネーソス半島に侵攻しようとしました。彼らはペロポネーソスの対岸のナウパクトスで船を建造して、ペロポネーソス侵入の準備をしました。

(上:ナウパクトスから対岸のペロポネーソス半島を望む)



ところがナウパクトスで軍を集めている間に、ヘーラクレースの孫にあたるヒッポテースがカルノスという予言者を殺してしまったために、建造した船は破壊され、また饑饉によって招集した兵士たちのある者は倒れ、ある者は故郷へ逃げ帰ってしまい、軍隊は消滅してしまいました。テーメノスがこの禍いついて神託を求めたところ、神託は「これは予言者を殺害したことが原因である。よって殺害者を十年間追放せよ。」と答えました。このためヒッポテースは追放されてしまいました。その後テーメノスたちはペロポネーソスのメッセーネー、スパルタ、アルゴスを占領するのですが、その話はコリントスにあまり関係がないので、ここでは詳しく述べません。コリントスに関係があるのは追放されたヒッポテースのほうです。


アレーテースはヒッポテースの息子で、ヒッポテースが追放中に生まれました。ヒッポテースが追放中だったので「放浪者」の意味を持つアレーテースと名付けられたのでした。アレーテースは成人すると、自分もテーメノスたちのようにどこかの町の王になりたいと考えるようになりました。ドードーナの神託に王となる方法を尋ねたところ、「多くの花の頭飾りの日に土くれを与えられたときに」という神託を得ました。そこでコリントスの町の死者の祭の日に、乞食の身なりをしてコリントスに出かけました。そこでアレーテースは祭に集った人々にパンを乞うたのでした。そのときひとりのコリントスの男がアレーテースのみすぼらしい身なりを馬鹿にして、土くれを投げつけました。この後、詳しい経緯はよく分かりませんが、コリントスクレオーンの娘が、自分を妻にすればコリントスの城門を開けるとアレーテースに約束した、ということです。とにかくこの娘の裏切りにより、コリントスはアレーテースの軍に占領されたのでした。この時からコリントスはドーリス人の町になったのでした。

(上:コリントス出土の混酒壺)


次にアレーテースは次にアテーナイに軍を進めました。この時、デルポイの神託は「アテーナイ王の命を助ければ、アテーナイを手に入れることが出来る」と告げました。しかし、この神託はデルポイ人によってアテーナイ王コドロスにも知らされました。コドロスはアテーナイを守るために自分が殺されるように図りました。今度はコドロスが貧しい身なりをしてアレーテースの陣に近づき、そこの兵士と争ってわざと殺されたのでした。アレーテースはそのことを知って、軍を引きました。この時に、アレーテースの軍勢はアテーナイの領土の中からメガラを引き離して、自分たちや同盟国の人々の植民市にしています。

その後、(アテーナイ王)コドロスの治世において、ペロポネーソス人はアテーナイへの遠征を行いました。目覚ましいことを何も達成出来なかったので、彼らは国に帰る途中でアテーナイ人からメガラを奪い、そこに行きたいと思ったコリントス人や他の同盟国の住処としてそれを与えました。


パウサニアース「ギリシア案内記」1.39.4 より

このあとのコリントスでは、アレーテースの子孫が王位を継いでいきました。