神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(9):ヘーラクレイダイの侵攻(1)

ダーモポーンがコリントス王の時にヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの子孫たち)が攻めてきました。おそらくこれは、トロイア戦争より以前の、1回目の侵攻のことだと思います。では、その話をいたします。


ヘーラクレースが死去すると、今までヘーラクレースを迫害していたミュケーナイ王エウリュステイスは、ヘーラクレースの子供たちを迫害し始めました。子供たちはペロポネーソス半島を出て逃げ回り、最終的にアテーナイ王テーセウスに庇護を求めました。テーセウス率いるアテーナイ軍はエウリュステウスの軍を破り、テーセウスはエウリュステウスを処刑します。こうして帰国の障害が取り除かれたのでヘーラクレースの子供たちはペロポネーソス半島の諸都市を攻略してこれらを奪い取りました。しかし彼らがペロポネーソスに戻って一年後、疫病が蔓延することになりました。これを神の怒りととらえた彼らはデルポイの神託に神意をたずねました。神託は、彼らがペロポネーソスに戻る定めの時以前に彼らが戻ったことが原因である、と告げました。そこで、ヘーラクレースの子供たちは一旦アテーナイ近くのマラトーンに移住して、定めの時を待つことにしました。定めの時について神託は、「三度目の収穫を待ってのちに帰るであろう」と告げていました。そこで、彼らの指導者となっていたヘーラクレースの子ヒュロスは、3年後に軍を率いてペロポネーソスに向いました。彼らがコリントス地峡まで軍を進めた時、ペロポネーソス諸国の軍がそこに待ち構えていました。

(上:コリントス地峡)

伝えられるところによればこのときヒュロスは、両軍が戦いを交えて危険を冒す必要はない、ペロポネソス軍中第一の勇士として選ばれたものと自分とが、定められた協定の下に一騎打をしよう、と申し入れたという。ペロポネソス軍もその申し出に従うべきことを決定し、両者は誓約して、もしヒュロスがペロポネソス軍の大将に勝てば、ヘラクレス一族は復帰して父祖の権利を継承するが、もし敗れるならばヘラクレス一族は撤退して兵を引き上げ、百年間はペロポネソスへの復帰を求めぬことを申し合わせた。


ヘロドトス著「歴史」巻9、26 から

ペロポネーソス軍から選ばれたのは、アルカディア地方のテゲア市の王エケモスでした。そしてエケモスはヒュロスを討ち取り、ヘーラクレースの子供たちは軍を引いたのでした。なお、この時の功績により、以後ペロポネーソス諸国が連合して出陣する際にはテゲアは常に一方の翼の指揮に当る権利を認められたということです。さて、この話にはコリントス王ダーモポーンは登場しません。話の舞台がコリントス地峡だということだけで、コリントスの存在感は薄いです。


ヘーラクレイダイが去ったので、ミュケーナイの王位は神託によってペロプスの子アトレウスに引き継がれました。アトレウスはエウリュステウスの母ニーキッペーの弟であることからエウリュステウスの叔父に当ります。また当時、アトレウスはミュケーナイに亡命していました。このアトレウスの子がアガメムノーンで、アガメムノーンはギリシア諸侯を率いてトロイアへ遠征したのでした。


トロイア戦争の頃のコリントスはどんな状況だったのでしょうか? それを知るために。ホメーロスの「イーリアス」の第2書の「船ぞろえ」の箇所を調べてみました。そこには

またミュケーナイのよく築かれた城市(しろまち)をたもつ者ども、
また富んで饒(ゆた)かなコリントスや よく築かれたクレオーナイ、
さてはオルネイアイやいつくしいアライテュレエーやシキュオーンの、
かのアドレーストスが 先ず王となった地を領する者ども、
あるいはまたヒュペレーシエーや 嶮を擁するゴノエッサや
ペルレーネーをたもつ者ども、またはアイギオンのあたりから
アイギアロスの全体にかけ、また広やかなヘリケーのあたりに拠るもの、
この者どもの百艘の船を率いて立つのはアガメムノーン王、
アトレウスが裔とて、彼の伴には他に超えて数多くの、また並びない
勇士たちが随って来た、(後略)


ホメーロス 「イーリアス 第2書」 呉茂一訳 より

と書かれていました。これによれば、コリントスはこの頃ミュケーナイ王アガメムノーンの支配下にあったようです。アガメムノーンの支配下コリントスを統治していた領主がいたらしいのですが、ホメーロスからはこれ以上の情報は得られません。しかし、悲劇作家エウリーピデースの失われた作品の中には、この頃のコリントス王としてクレオーンの名前が登場します。その話の主人公はアルゴスの君侯アルクマイオーンです。彼はトロイア戦争に参加していませんが、彼と一緒にテーバイを攻略したディオメーデースやステネロスやエウリュアロスはトロイア戦争に参加しています。そこから考えて、アルクマイオーンもトロイア戦争の時代の人と考えてよいでしょう。