神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メガラ(4):ニーソス

アテーナイの王子でありながらメガラの王になったニーソスについては、その名にちなんでメガラの港の名前がニーサイアと名付けられたと伝えられています。メガラではニーソスの治世についてあまり伝えられていませんが、アテーナイでは、この時にクレータ島の王ミーノースがメガラを包囲して陥落させた、という話が伝えられています。アテーナイに伝わる伝説によれば、以下のようなことが起きたといいます。

(上:クレータ島の位置)


ニーソスがメガラの王であった頃、クレータ島全体を支配していた王ミーノースの長男であったアンドロゲオースがアッティカ地方(アテーナイを中心とする地方)で横死したという事件が起きました。この時のアテーナイ王はニーソスの兄アイゲウスでした。クレータ島の王ミーノースはこれに怒って、アテーナイに攻め込みました。ミーノースは当時、非常な権勢を持っていました。ヘーロドトスはミーノースについて

ミノスは広大な地域を制圧し戦争では常勝の勢いであった・・・


ヘロドトス著「歴史」巻1、171 から

と書いています。アンドロゲオースが死んだのは、マラトーンの牡牛という凶暴な牛に襲われたためとも(この牛はのちにヘーラクレースによって退治されました)、アイゲウス王が開催した競技会にアンドロゲオースが参加して、多くの競技で優勝をさらっていったのを、他の競技者たちが妬んで、待ち伏せして殺したとも言います。

(上:伝説のミーノース王の宮殿とも言われるクノッソス宮殿遺跡)


ミーノース王は大いに怒り、アテーナイに侵攻して町を陥落させたのでした。このためにアテーナイは、クレータ島にいるというミーノータウロスという牛の頭に人間の身体をした怪物に、人身供養のための若者を数名差出さなければならなくなるのですが、この話は今はここまでとします。さて、この時メガラもミーノースの軍隊によって包囲されたといいます。メガラにとってはとんでもないとばっちりでしたが、憎いアテーナイ王の弟が治める都市ということで、攻め込まれたのでしょう。


さて、ニーソスの頭の真中には紫色の毛が一本あり、これを抜かれれば死ぬという神託がニーソスに告げられていました。ニーソスにはスキュラという娘がいました。ミーノースの軍勢がメガラを包囲している時に、あろうことかスキュラは敵将ミーノースに恋したのでした。そしてミーノースのために自分の父親の例の毛を切って殺してしまったのでした。こうしてメガラはクレータ勢に占領されました。ミーノースがスキュラにどう接したかというと、スキュラを殺してしまったのでした。スキュラの足を船の艫につないで船を出航させ、海で溺死させたのでした。父親を裏切ってまで自分に尽くしてくれた女性を殺したのですから、私はミーノースの所業をひどいと思います。とはいえ、このような話は古代ギリシアの男性には好まれていたのだと思います。というのは、古代ギリシアの都市(=ポリス)というのは男性からなる戦士共同体という性格を持っているところから、共同体に対する裏切りを許さないというメンタリティを当時の男たちは持っていた推測するからです。ニーソスの遺骸はアテーナイに運ばれ、そこで葬られたといいます。


スキュラについては、その乳母の名前が伝わっており、カルメーといいます。カルメーはフェニキア人の祖というポイニクスとカッシオペイアの娘で、年をとってから(海賊に?)捕えられてメガラに送られて、スキュラの乳母になったといいます。この話は断片的でよく分かりません。カルメーについては、ゼウスに愛されてプリトマルティスをクレータ島で産んだという話もあります。ブリトマルティスは、のちにクレータ王ミーノースに迫られたためにクレータ島を出てアイギーナ島にやって来てアパイアーという女神になった、という伝説があります。アイギーナ島はメガラからそれほど遠くないので、カルメーの話は、ミーノースがメガラを陥落させたという話とともに、メガラ周辺の地域とクレータ島との何らかの歴史的な関係を反映しているのかもしれません。ニーソスの別の娘エウリュメデーはコリントス王シーシュポスの息子グラウコスと結婚して、英雄ベレロポーンを産みました。ベレロポーンの物語は有名ですが、これもメガラとは関係が薄いのでここでは述べません。


ニーソスの別の娘イーピノエーは、ボイオーティアのオンケーストスという町の男メガレウスと結婚しています。メガラに伝わる話では、上に述べたミーノースによるメガラ陥落の話はなく、メガレウスはイーピノエーと結婚したことで、ニーソスの死後メガラの王となったということになっています。しかしボイオーティアの伝説では、メガレウスはメガラの王になったことはなく、メガラがクレータ王ミーノースの軍勢によって攻撃された時に、ニーソスを助けるために参戦し、そこで戦死したということになっています。

ボイオーティア人は、オンケーストスに住んでいたポセイドーンの子メガレウスが、ニーソスがミーノースと戦うのを助けるためにボイオーティア人の軍隊と一緒に来たと宣言します。 戦いに倒れた彼はその場で埋葬され、その町は以前はニーサと呼ばれていましたが、彼にちなんでメガラと名付けられました。


パウサニアース「ギリシア案内記」1.39.5 より

この話によれば、メガラという町の名はこの男メガレウスに由来するということです。