神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(3):ミーノース王

ミーノースには、偉大な統治者であったという評判と、それとは矛盾するような、暴君であったという評判の2つが伝えられています。そして話としてまとまって伝わっているのは後者のほうで、それというのもそれがアテーナイに伝わっていた伝説であったためであり、アテーナイの文化が後世に大きな影響を与えたので、後者のほうが優勢になってしまったのでした。AD 1~2世紀に活躍した著作家プルータルコスは、そのあたりの事情を以下のように語っています。

声(=弁舌)と詩を持つ国(=アテーナイのこと)を敵にまわすのは本当に厄介だと思われたのである。このミーノースはいつまでもアッティケー(=アテーナイを中心とする地方)の芝居では悪い評判をとって非難されている。せっかくヘーシオドスが「最も王らしい」と呼び、ホメーロスが「ゼウスの伴侶」と呼んでくれても、何にもならなかった。やはり悲劇詩人の見方が優勢になって、舞台先から放つセリフでミーノースが無慈悲で横暴だというひどい不評判を広めてしまった。


プルータルコス著「テーセウス伝 16」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)

ギリシア悲劇(これらはまずアテーナイで上演されました)ではミーノースは悪役として描かれ、その影響でミーノースは無慈悲で横暴な人物と思われるようになった、というのです。


私としては、まずミーノースが偉大な統治者だったことを示す伝えを紹介し、次にアテーナイの影響を受けた伝説に話を移していこうと思います。ホメーロスは王としてのミーノースについて次のように歌っています。

クレーテーという国があります、ぶどう酒色の大海のさ中にして、
いつくしくもまた饒(ゆた)かに、潮をめぐらすうちに人々
数限りなく多勢住まい、九十の都邑をかまえる、
それがいちいち言語が違い、たがいに混じりあったうちに、アカイア族も
あれば意気の旺んなエテオクレーテスもあり、またキュドーネス族や、
三部に別かれたドーリス族や、古参のペラスゴイ人らも住まって
いる間にもクノーソスは大きな城市(しろまち)とて、この都にミーノース(王)が
九年の一期(いちご)にとして王位に在り、ゼウス大神の御宣(みのり)をつたえる、


ホメーロスオデュッセイアー 第19書」 呉茂一訳 より

最後の「九年の一期(いちご)にとして王位に在り、ゼウス大神の御宣(みのり)をつたえる」のところが理解しづらいですが、高津春繁氏の「ギリシアローマ神話辞典」

によれば、九年毎にミーノースはクレータ島にあるイーデー山の洞窟に入って、そこで大神ゼウスと対面して、ゼウスから教えを受けた、ということです。なお、この洞窟はかつてゼウスが赤ん坊だったときに育った場所であるという伝説もあります。つまり、ミーノースはゼウス神の教えに従ってクレータ島を治めたのでした。

伝説ではミーノースは死後、冥界で閻魔様のような役割を担うようになったとされており、ホメーロスはその様子も歌っています。ホメーロス作の「オデュッセイアー」には、主人公のオデュッセウストロイア戦争からの帰国の途上、10年間地中海をさまよった話が出てきますが、そのさまよいの一つとしてオデュッセウスが生きながら冥界に下っていったという話があります。その時にオデュッセウスはミーノースを見たのでした。

いかにもこの折、ミーノースの姿を見ました、ゼウスの立派な
ご子息ですが、黄金の笏杖を手に坐ったまま、亡者を裁判
していました。その周囲(まわり)をかこんでみな、王に判決(さばき)を訊ねる者らが、
坐っているのや立っている者や、門口(とぐち)の広い冥王の館に(溢れていました)。


ホメーロスオデュッセイアー 第11書」 呉茂一訳 より

ここではミーノースは「ゼウスの立派なご子息」と形容されています。またローマの詩人ヴェルギリウスの「アエネーイス」でも、ミーノースは同じように歌われています。

糾問主査のミーノスは、籤壺ふって亡霊の、
法廷ひらき亡霊の、生涯やまた告発を、
地下の世界で聞いている


ヴェルギリウスアエネーイス」第6巻 泉井久之助

冥界の裁判官であるミーノースが不正な人間であったら、おかしなことになってしまいます。やはり、ミーノースは公正な人物であると考えられていたようです。