神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メガラ(6):スケイローン

前回登場したペリポイアは、その後、サラミース島の王テラモーンの妻となり、トロイア戦争で活躍する英雄アイアースを産みました。サラミース島はメガラのすぐ前にある島です。前回、ペリポイアをテーセウスが守った話をしたので、少し時間をさかのぼりますが、テーセウスとスケイローンの関りについてお話します。メガラの伝説ではスケイローンはメガラ王ピュラースの息子でしたが、アテーナイの伝説ではメガラにいた強盗なのでした。


トロイゼーンで祖父ピッテウスと母アイトラーのもとで育ったテーセウス少年は、母からある時、自分の父親がアテーナイ王アイゲウスであることを知らされます。母親は、アイゲウスが岩の下に隠した品々(剣と靴)を取って、アテーナイに行き、自分の父親に会うように勧めました。プルータルコスは以下のように書いています。

テセウスは、すでに幼少の時から、肉体の力と同時に、勇気と、精神と結合した誇りと、揺るぎない賢さとを顕著にあらわした。そこでアイトラは彼を例の意志のところに連れていって、出征の真実を語り、父親のしるしの品を取り出してアテネに向けて船出するように促した。テセウスは石の下に肩を入れて安々と持ちあげたが、船でアテネに渡るほうが安全でもあり、また祖父と母がそうするように頼んだにもかかわらず、船でアテネに渡ることを承知しなかった。


プルータルコス「テーセウス伝」6 井上一訳 より


(右:岩を持ち上げるテーセウスと、アイトラー)


その頃、陸上の道は危険に満ちていました。というのも、道には悪党どもがいっぱい、たむろしていたからです。テーセウスの伝説では、これらの悪党のうちの一人としてスケイローンが登場します。テーセウスはトロイゼーンからアテーナイに行く道すがら、これらの悪党を退治していくのでした。

ついでテセウスは、メガラ領に入るところで、スケイロンを石の上から投げ落として殺した。スケイロンは、世に流布している伝説によると、通行人から物を剥いだものとされているが、またある人の説では、傲慢無礼にも両足を旅人につき出して、これを洗えと命じ、旅人がそれを洗っている最中に足で蹴って海の中につき落したのだという。


プルータルコス「テーセウス伝」10 井上一訳 より


(上:海に落とされたスケイローン


テーセウスはこののちアテーナイに到着し、アテーナイ王アイゲウスによって実子であると認められます。その後、クレータ島からミーノース王がやってきて少年少女を7名ずつ引渡さなければならなくなった時に、テーセウスは自ら志願してその一行に入り、メガラ王女ペリポイアは籤によってこの一行に入ったのでした。そして、前回の最後にお話ししたような出来事があったのでした。


さてメガラでは、スケイローンは上に述べたような悪人としては伝えられていませんでした。そのことについてもプルータルコスは触れています。

しかしメガラ出の著作家たちは、論じてこの伝説に至るや(中略)スケイロンは傲慢なものでも追剥ぎでもなく、追剥ぎをこらしめるものであり、善良な正しい人々の味方となり友となった。


同上

そして、スケイローンの親族がみな優れた人々だったから、スケイローンも立派な人だったに違いないと論じます。

というのは、彼らの説によると、アイアコスはギリシア人のうちで最も敬虔な人と見なされ、サラミスの人キュクレウスはアテネでは神として敬われ、ペレウスとテラモンの徳は誰一人知らぬものがなく、スケイロンはそのキュクレウスの娘むこであり、アイアコスの義父であり、スケイロンとカリクロとの娘エンデイスの生んだペレウスとテラモンの祖父であるから(中略)というのである。(中略)とにかくこれについてはこうした相反する説があるのである。


同上

パウサニアースも「ギリシア案内記」の中で、メガラ人の伝えることとして、スケイローンは軍事指導者として道路を作った道路がその当時(AD 2世紀)にも残っていてスキロニアンと呼ばれていたことを伝えています(1.44.6)。そしてこの道路はローマ皇帝ハドリアヌス(在位AD 117~138年)によって、戦車が対面通行出来るように幅を拡張されたとも伝えています。軍用道路を作った人と、道で旅人を捕まえて追剥ぎをしていた人とでは大違いです。