神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クラゾメナイ(1):クラゾメナイ建設

クラゾメナイは、イオーニア12都市のひとつです。さて、英語版のWikipediaにはクラゾメナイと神話の関わり合いとして、以下の記事を載せています。

クラゾメナイで鋳造された銀貨は、町の主神であるアポローンの頭部を示しています。神話によると、白鳥はアポローンが毎年ヒュペルボレオイ人の土地にある冬の住まいから南に飛ぶ時に使う戦車を引きました。しかし、クラゾメナイには白鳥がたくさん生息しており、また、野鳥の鳴き声を表すのには動詞klazoが使われたと考えられています。硬貨の表面の白鳥は、アポローンの眷属であり、クラゾメナイという名前のしゃれでもあります。


(左:クラゾメナイの硬貨。アポローン神)



(左:クラゾメナイの硬貨。白鳥)


クラゾメナイには白鳥の飛来地があったようです(今でもあるのでしょうか?)。そして白鳥は渡り鳥ですから、毎年冬になると北からやって来るわけです。古代のクラゾメナイのギリシア人たちは、その様子に北から白鳥の引く戦車(チャリオット)に乗ってやってくるアポローン神を感じていたようです。上の引用にある「ヒュペルボレオイ」というのは北の果てに住んでいると考えられていた想像上の民族です。彼らはアポローンを崇拝する民族であり、アポローン自身も彼らの国によく滞在すると考えられていました。


クラゾメナイとアポローン神の関係を示す話がないか調べたのですが、確かなことは分かりませんでした。気になったこととしては、少し南側のコロポーンの領域になるのですが、そこにはクラロスというアポローン神の聖地があるということと、伝説ではクラゾメナイの人々はコロポーンからやって来たということです。このクラロスの聖地については、イオーニア人がここイオーニア地方にやってくる以前からあったと伝えられています。このことがクラゾメナイとアポローン神を結び付けているのではないかと想像しました。


パウサニアースの「ギリシア案内記」によれば、クラゾメナイの建設の模様は以下のようです。

イオーニア人がアジアに来る前は、クラゾメナイとポーカイアの町には人が住んでいませんでした。イオーニア人がやってきた時、その放浪する部隊はリーダーとしてコロポーン人の中からパルポロスを呼び寄せ、イーダ山の麓に町を建設しましたがその町はすぐに放棄され、イオーニアに戻ってコロポーン人の領土にスキュピオンを建設しました。彼らは自発的にコロポーン人の領土からも去り、彼らがまだ所有している土地に居住し、本土にクラゾメナイの町を建設しました。(中略)これらのクラゾメナイ人の大部分はイオーニア人ではなく、ドーリス人がペロポネーソスに帰還した時に町を放棄したクレオーナイ人とプリウース人でした。


パウサニアース「ギリシア案内記」7・3・8~9 より


(上:クラゾメナイと、その創建に関係する都市)


なかなか解釈が難しい文章です。イオーニア人の一部が最初はコロポーン領内にいて、その後そこを去ってクラゾメナイを建設した、と読めるのですが、最後にクラゾメナイ人の大部分はイオーニア人でなくて、クレオーナイ人とプリウース人だった、と言っています。クレオーナイもプリウースもペロポネーソス半島の北東地区にある町です。彼らはドーリス人がペロポネーソスに侵入してきた時に自分たちの町を放棄した、ということです。イオーニア人もかつてペロポネーソス半島の北側に住んでいてアカイア人によって追い出されたと伝えられています。そうすると、クレオーナイとプリウースの人々もイオーニア人ではなかったか、と私は思うのですが、そうではないみたいです。ともかく、彼等もイオーニア人と一緒に小アジアに植民するためにやってきたのでしょう。


それからずっと時代が下って(伝説によれば)BC 654年、クラゾメナイのティメシオスという人物は植民団を率いてトラキアアブデーラの町を建設したと言われています。しかし、この町はそれほど長く存続せず、原住民のトラキア人によって破壊されました。この町は、百年以上のちに今度はテオース人によって再建されることになります。ティメシオスはテオース出身のアブデーラ人によって町の守護神として祭られました。

この町(=アブデーラ)はこれより先クラゾメナイの人ティメシオスが植民したところであるが、トラキア人に追われ有終の美をおさめることができなかった。彼はしかし現在アブデラ在住のテオス人によって英雄神として祀られている。


ヘロドトス著 歴史 巻1、168 から

この頃の人物なのか、それよりもっと古いのか新しいのかはっきりしないのですが、ヘルモティモスという伝説的な人物がクラゾメナイの伝説に登場します。