神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(7):ペルシアへの服属

さて、キオスと大陸の距離は、一番近いところで6kmぐらいです。当時のペルシア人は陸の民であって海軍を持っていなかったので、この程度の隔たりであっても、キオスは安心していることが出来たのです。

そうこうしているうちに、ペルシアは小アジアエーゲ海沿岸のギリシア都市を一つずつ、征服していきました。やがて、ペルシアから遁れたポーカイアの人々がキオスに亡命してきました。彼らはハルバコス率いるペルシア軍に町を包囲されたのですが、何とか休戦を手に入れて、その休戦期間に持てるだけの財産を詰め込んで、町から脱出したのでした。

さてハルバコスは兵を進めてポカイアを包囲すると、もしポカイア側が(王への屈服のしるしとして)城壁の胸壁を一つだけ取り壊(こぼ)ち、家屋を一軒献納すれば、自分はそれで満足しよう、と申し入れをした。しかしポカイア人は隷属に甘んずることを潔しとせず、一日間協議した上で返事をしたいと答え、自分たちが協議中は、軍隊を城壁から退けてほしいと要請した。ハルバコスは、ポカイア人がどうするつもりなのかよく判っておるが、それでも協議することを許そう、と答えた。
 ハルバコスが軍隊を城壁から遠ざけたすきに、ポカイア人は五十橈船を海におろして、女子供に家財全部をそれに載せ、神社の神像やそのほかの奉納物も、青銅製や大理石製のものおよび絵画類をのぞいては全部積み込み、最後に自分たちも乗り込んで、キオスに向って出帆した。こうしてペルシア軍は、もぬけの殻となったポカイアを占領したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、164 から


しかし、ポーカイアからの難民を迎えたキオス側の対応は冷たいものでした。

ポカイア人はキオス人からオイヌッサイという一群の小島を買おうとしたが、キオス人はこれが商業の中心地となり、そのため自分たちの島が通商活動から締め出されるのを恐れて売却に応じなかったので、彼らはキュルノス(コルシカ島)へ向うことになった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、165 から

これは、ポーカイア人がキオスへの編入を求めたのではなくて、あくまでポーカイアを存続させたままで別の場所に移ろうとしたためと思われます。ポーカイアのほかにはテオースという町の人々も、自分たちの町を棄てて移住しました。

隷属に甘んずることを潔しとせず祖国を離れたのは、右の二つの町だけで、残りのイオニア人ミレトスを除き、みな離国組と同様にハルバコスと戦い、いずれも救国の戦いに武勇を輝かしたが、結局戦い敗れ占領されて、それぞれの祖国に留まり、ペルシアの命に服することになったのである。ミレトスだけは前にも述べたように、直接キュロスと協定を結んでいたので戦火を免れていた。
 こうしてイオニアは再度隷従の憂目を見たのであるが、ハルバコスが大陸のイオニア諸市を征服すると、島に住むイオニア人たちもこれに恐れをなして、自発的にキュロスに降伏してしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、169 から

この段階でキオスもペルシアに服属したようです。キオスの海軍は他のイオーニア諸国の海軍とともにペルシアの指揮下に入りました。このあとに始まったペルシアのエジプト征服に、キオスの海軍も従軍したと推測します。ペルシアは、征服したギリシア都市のそれぞれに、ペルシアの支配に協力する者を見つけて、その都市の支配者にしました。キオスにもそのようなキオス人の支配者が立てられたと思いますが、その人の名は伝えられていません。