神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ハリカルナッソス(4):リュディアとペルシアへの服属

ハリカルナッソスの初めの400年ぐらいの歴史は皆目分かりません。どんな王が君臨していたのか、レーラントス戦争には参加したのか、政治体制はどう変わっていったのか、キンメリア人の侵攻を受けたのか、ネットを調べても本を読んでも分かりませんでした。そこで、年代をBC 6世紀まで下ることにします。この頃、ハリカルナッソスはリュディア王クロイソスの支配下にありました。というのは、以下に示すヘーロドトスの「歴史」における記述に、クロイソスが征服した種族の中に「ドーリス人」が含まれており、ハリカルナッソスは小アジアにあるドーリス人の代表的な町だからです。

その後しばらくの間に、ハリュス河以西の住民はほとんど全部クロイソスに征服された。すなわちキリキア人とリュキア人とを除き他のすべての民族を、クロイソスは自分の支配下に制圧したのである。これらの種族とは、リュディア人、プリュギア人、ミュシア人、マリアンデュノイ人、カリュベス人、パプラゴニア人、トラキア系のテュノイ人とビテュニア人、カリア人イオニア人ドーリス人、アイオリス人、パンピュリア人である。


ヘロドトス著「歴史」巻1、28 から


さて、クロイソスによるハリカルナッソス征服の前のことか後のことか分かりませんが、おそらくこの頃、ハリカルナッソスがドーリスの六市(ヘクサポリス)同盟から追放される、という事件が起きました。それ以前は、ハリカルナッソスは他のドーリス人の町と六市同盟を構成していたのでした。この同盟がどれほど過去にさかのぼるものなのかよく分かりません。六市を構成していたのは、大陸ではハリカルナッソスとクニドスだけで、あとの4市はエーゲ海の島の上にあり、それはロドス島の3市、リンドスイアーリュソス、カミロスと、コース島のコースです。これらの市の位置を上に示します。

このやり方は、今日の五市(ペンタポリス)、以前は六市(ヘクサポリス)といっていた地区のドーリス人のやり方と同じである。彼らは近隣のドーリス人のどの町もトリオピオンの聖地に入れぬようにしているが、そればかりか自分たち同士の間でも、聖地に関して法を犯したものは、参与を禁じて締め出してしまったのである。その話はこうである。「トリオピオンのアポロン」の競技には、以前は優勝者に青銅の鼎が賞品に出されたが、賞品を得た者はそれを聖地から持ち帰ってはならず、その場で神に奉納せねばならぬ掟になっていた。ところがハリカルナッソスの者でアガシクレスという男が、優勝した後その掟を無視して鼎を我が家へ持ち帰り、家の前で釘で留めて吊るしたのである。この咎を盾に、五つの町、すなわちリンドスイアリュソス、カミロス、コスクニドスの諸都市は、第六番目の町に当るハリカルナッソスの参加を禁じて締め出したのである。ドーリスの五市はハリカルナッソスにこのような罰を加えたのであった・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻1、144 から

ハリカルナッソスが六市同盟から追放されたのは、このアガシクレスの行動が原因ではなく、真の原因はハリカルナッソスではカーリア人の地位が高かったために純粋なドーリス人の町として周囲から見られていなかったためではないか、という説があるそうです。


その後、BC 546年のサルディスの陥落の際も、ハリカルナッソスはさしたる抵抗もなくペルシアに征服されました。

カリア人は何ら華々しい働きを示すこともなくハルバコスに征服されてしまったが、為すところなかったのはカリア人だけではなく、この地方に住むギリシア人も皆同様であった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、174 から

ヘーロドトスはハリカルナッソスの出身なのですが、どうも彼は自分の町がさしたる抵抗もせずに征服されたことを言いたくないようで、ハリカルナッソスの名前を出さずに一般的な言い方で「この地方に住むギリシア人」と言っているようです。