神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(5):キンメリア人の侵入

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リュディア王国が領土を拡張してきてミーレートスを占領しようと、さかんに戦争を仕掛けるのですが、その時にミーレートスがどう対処したのかについて、その初期のことは分かりません。これらはいわゆる暗黒時代の出来事なのです。いっとき、リュディアがミーレートスや他のイオーニア(今のトルコ共和国の西海岸のあたりの地方)の都市への侵略を止める時がありましたが、それは北方からやってきたキンメリア人がリュディア王国の首都サルディスを占領する、という事件が起こったからです。ヘーロドトスは以下のように述べています。

このアルデュス*1はプリエネを占領、ミレトスに侵攻したが、彼がサルディスを支配している時期に、キンメリア人がスキュティア系遊牧民の圧迫で定住地を追われて、アジアの地に入り込み、サルディスをそのアクロポリス*2を除いてことごとく占拠した。


ヘロドトス著 歴史 巻1、15 から

 


しかしそれはミーレートスをはじめとするイオーニアのギリシア人の諸都市にとってありがたいことではありませんでした。キンメリア人はイオーニア各地で略奪を行ったからです。


そのうちにキンメリア人を追い出したスキュタイ人までもが、キンメリア人のあとを追って、メディアに到来することになってしまいました。

彼らはキンメリア人をヨーロッパから駆逐して、アジアに侵入してきたもので、逃げるキンメリア人を追跡してメディアの国*3に入ったのである。


ヘロドトス著 歴史 巻1、103 から

 


なぜスキュタイ人が自分の領土に留まらずに、執拗にキンメリア人を追いかけたのか、よく分かりません。ヘーロドトスは別の箇所(巻4、13)でアリステアスという叙事詩人の空想的な説を紹介しています。その説によれば、北方には一つ眼のアリマスポイ人が住んでおり、このアリマスポイ人がその南に住んでいるイッセドネス人を追い出し、イッセドネス人がスキュタイ人を追い出し、スキュタイ人がキンメリア人を追い出したのだ、と言います。

ここにおいてメディア人はスキュタイ人と交戦したが、戦いに敗れて支配権を奪われ、スキュタイ人は全アジアを席巻したのである。
スキュタイ人はそれからエジプトを目指して進んだ。彼らがパレスティナ・シリアまできたとき、エジプト王プサンメティコスが出向いていって、贈物と泣き落とし戦術で、それより先へ進むことを思いとどまらせたのである。(中略)
スキュタイ人のアジア支配は二十八年にわたって続いたが、アジア全土は彼らの乱暴でなげやりな統治のため、荒廃に帰してしまった。住民の一人一人に課税してとり立て、貢税のほかに各地を廻って、個人の資財を略奪したのである。しかしキュアクサレスの指揮の下にメディア人は、宴会に招き酒に酔わせて殺すという作戦で、かくしてメディアはその主権をとり戻し、以前の領地を回復した。


ヘロドトス著 歴史 巻1、104~106 から

 


一方キンメリア人もリュディア王アリュアッテスによってアジアから駆逐されたということです。このような時代にミーレートスはどのように対処していったのか知りたいところなのですが、それについての記録はないようです。


なお、クリミア半島の名前はキンメリアに由来するそうです。

 

 

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*1:リュディア王

*2:高みに建設された中心部

*3:今のイラク・イランあたり