神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ヘルミオネー(9):カラウレイア同盟

ドーリス人の南下よりのちの時代のヘルミオネーについて、英語版のWikiediaでは以下のように説明しています。

ヘルミオネーはドリュオピス人の町の中で最も重要であったようであり、かつては隣接する海岸のより大きな部分といくつかの近隣の島々を所有していたらしい。


英語版Wikipediaの「ヘルミオネー」の項より


その理由のひとつが、ヘルミオネーがカラウレイア同盟という都市間同盟の議長国ではなかったか、という推測です。カラウレイア同盟というのは、紀元前後に活躍した歴史家のストラボーンが記録しているもので、カラウレイア島にあるポセイドーンの聖域を本拠地とする半ば宗教的な近隣都市同盟です。

(上:カラウレイア島のポセイドーンの聖域)


英語版Wikipediaの「カラウレイア」の項にはストラボーンからの引用が載っていました。

そして、この神殿に関連して一種のアンピクテュオニー(=隣保同盟)もあった。それは犠牲を分け合う7つの都市の同盟であった。それらの都市はヘルミオネー、エピダウロスアイギーナ、アテーナイ、プラシアイ、ナウプリオ、ミニュアイのオルコメノスである。しかし、アルゴス人はナウプリオ人に会費を支払い、[14]ラケダイモーン人はプラシアイ人に支払っていた。(ストラボーン 地理誌viii.6.14。)


英語版Wikipediaの「カラウレイア」の項より

この文章を念頭に、英語版Wikipediaの「ヘルミオネー」の項では、こう推測しています。

ヘルミオネーはアンピクテュオニー(=隣保同盟)の都市の中で最初に言及され、その代表者たちは近くのカラウレイア島で会う仕来りになっていた。このことからヘルミオネーは同盟の議長国であり、この島はこの都市に属していたと推測されている。


英語版Wikipediaの「ヘルミオネー」の項より


下の地図に同盟に参加している7つの町の位置を記してみました。


ヘルミオネーとカラウレイア島の近くの地図を拡大して下に示します。

ヒュドレイア島がヘルミオネー領だったことは、ヘーロドトスが記しています。ひょっとするとカラウレイア島もヘルミオネー領だったのかもしれません。


さて、この同盟はいつ頃設立されたのでしょうか? 英語版Wikipediaの「カラウレイア」の項には、トーマス・ケリーという学者がBC 680〜650年に設立されたと推定している、と記しています。そうすると、私はそれ以前に始まったレーラントス戦争にヘルミオネーが参加したかどうかが気になってきます。レーラントス戦争ではカルキスエレトリアが戦ったのですが、カラウレイア同盟の中の一国アイギーナはレーラントス戦争でエレトリア側で戦っています。では、ヘルミオネーもレーラントス戦争でエレトリア側で戦ったのでしょうか? いろいろ想像していたのですが、私は、英語版Wikipediaの「ポロス」の項で、カラウレイア同盟について以下のように書いているのを見つけてしまいました。

現代の考古学は、その実際の存在の証拠を発見しておらず、現在では「カラウレイア同盟」が後のヘレニズム時代の創作であると信じている。


英語版Wikipediaの「ポロス」の項より


ということで私には、カラウレイア同盟が存在したのか、しなかったのか、分からなくなってしまいました。この時代のことは、容易には分からない、ということなのでしょう。


ところで上に出てきた「ポロス」というのは島の名前で、このポロス島は実は、ほとんどくっつきそうなくらい近くにある大小2つの島からなっています。そして北の大きいほうがカラウレイア島であり、南の小さいほうがスパイリア島といいます。両方を併せてポロス島というのです。