神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ヘルミオネー(10):ヒュドレイア島


ヘルミオネーが領有していたヒュドレイア島は、そこにある泉にちなんでギリシア語の水を意味するヒュドレアから名づけられました。現在ではイドラ島と呼ばれ、エーゲ海ミニクルーズの船が寄港する観光地になっています。ここでの観光の目玉は、島全体が自動車乗り入れ禁止になっていることで、観光客が移動するにはロバを用います。


BC 520年頃、ヘルミオネーはサモス人たちにこのヒュドレイア島を売り払ってしまいました。このサモス人たちは、当時のサモスの僭主ポリュクラテースに対して反乱を起こし、スパルタの協力を得てサモスに攻め込んだものの戦いに敗れ、自分たちの住むべき場所を求めてエーゲ海をさまよっていたのでした。この亡命サモス人たちがヘルミオネーに支払ったお金は、その直前にシノプス島の住民を攻撃して無理やり奪い取ったもので、彼らは亡命者でかつ海賊、といった感じの集団でした(この亡命サモス人たちのことは「サモス(8):ポリュクラテース(2)」に書きました)。亡命サモス人たちはヒュドレイア島を買ってそこに住んだのかというと、そうではなく、この島をヘルミオネーの隣国トロイゼーンに貸し与えたのでした。自分たちはトロイゼーンから地代を徴収する、ということなのでしょう。そして彼らは遠く離れたクレータ島にあるキュドニアというところに町を作って、そこに住んだのでした。

サモス人たちは金を払ってヘルミオネ人から島を一つ手に入れた。ペロポネソス附近に浮かぶヒュドレイアという島で、彼らはこの島をトロイゼン人の管理に委ねておいた。自分たちはクレタ島のキュドニアに住みついたが、(後略)


ヘロドトス著「歴史」巻3、59 から


トロイゼーンの位置を下の地図に示します。

トロイゼーンは実はカラウレイア島の近くにあります。この地図を見て、いろいろ考えることがあります。トロイゼーンがヒュドレイアを賃貸にしろ得た、ということは当然、その前にカラウレイアはトロイゼーンの領有に帰していたのではないか、ということが考えられます。また、前回ご紹介した「カラウレイア同盟」の都市リストに、カラウレイア島に至近のトロイゼーンの名前が入っていない、ことも気になります。しかし、私にはそのことが逆に「カラウレイア同盟」が後世(ヘレニズム時代)の創作ではない証拠のような気がします。後世とはいえ、当時の人々にとってカラウレイア島とトロイゼーンの位置関係は周知のことだったでしょうから、創作だとすればカラウレイア同盟の都市リストにまずはトロイゼーンを入れると思うのです。ところが、どういう事情かは分かりませんが、トロイゼーンが都市リストに入っていない、ということは、逆にこの都市リストが後世の創作ではないことを示しているのではないでしょうか。


また、ヘルミオネーはこんな近くのヒュドレイア島を手離して大丈夫だったか、ということも思いましたが、ヒュドレイア島は古代においてはほとんど重要性のない島だったようです。

その存在の大部分について、イドラは歴史の周辺に留まりました。 古代の人口は非常に少なく、ヘーロドトスとパウサニアースの短い言及を除いて、それらの時代の歴史にはほとんどまたはまったく記録が残されていませんでした。


英語版Wikipediaの「イドラ島」の項より

そうだとすると、ヒュドレイア島を売却したことはヘルミオネーにとってよい取引だったのかもしれません。


このように、古代だけを扱うとヒュドレイア島(=イドラ島)は目立たない存在ですが、近代には裕福な貿易商人が多く住む島となり、ギリシア独立戦争ではこの島の人々も活躍したそうです。