神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(14):エピメニデース(2)

エピメニデースはアテーナイからクノッソスに帰って間もなくしてから死んだということですが、彼は非常に長命だったということです。

彼は帰国して間もなく死んだのであるが、プレゴンが「長命について」のなかで述べているところによると、そのとき彼は157歳であったという。しかしクレタ人の話では、彼は299歳まで生きたことになっている。またコロポンのクセノパネスが伝え聞いたこととして述べているところによると、彼は154歳まで生きったことになっている。


ディオゲネース・ラーエルティオス「ギリシア哲学者列伝」の第1巻 第10章「エピメニデス」 加来 彰俊訳 より

エピメニデースについては次のようなことも伝えられています。

クレタ人たちは彼に対してちょうど神に対するように犠牲を捧げたと語っている人たちもいる。というのも、その人たちによれば、彼は非常な予見の能力をそなえた人であったからである。


同上


(上:クレータ島のイーダ山)


エピメニデースには叙事詩や散文の著作がありました。

 彼は「クゥレテスとコリュバンテスの起源」および「神統記」という全部で5000行の詩を書いた。また別に、アルゴ号の建造とイアソンのコルキス遠征についての6500行の詩も作った。
 彼はさらに、「犠牲とクレタの国制について」、「ミノスとラダマンテュスについて」という4000行にわたる散文の書物も書いた。


同上


さて、エピメニデースの詩「クレータ島について」にはこんなことが書かれていました。

かれら(=クレータ人)は高貴なるあなた(=ゼウス神)のために墓を建てた
クレタ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼうだ!
しかしあなたは死んでいない: あなたは永遠に生き続ける
あなたがいるからこそ、我々は生かされている。


「クレータ島について」(日本語版ウィキペディアの「エピメニデスのパラドックス」の項より)

この詩の意味ですが、クレータにはかつてゼウスの墓なるものがあったということで、この詩はそれへの反駁です。どういういわれで、ゼウスの墓なるものがあるのかはよく分かりません。おそらくはクレータのギリシア以前の太古の宗教に関係があるのでしょう。ところで古代ギリシア人の通念では神とは不死なる者でした。当然ゼウスも神ですので不死のはずです。よってゼウスの墓なるものはあってはならない、というのが古代ギリシア人の普通の考え方でした。エピメニデースもこの考え方に立って、「クレタ人は、いつもうそつき」と歌ったのでした。これが、パラドックスを含む文として有名な「『クレータ人はうそつきだ』とクレータ人が言った」という文の出所らしいです。


この文は論理学の話で登場することがあります。どういうことかと言いますと、「クレータ人がうそつきだ」ということが真実ならば、このことを言ったのもクレータ人なので「クレータ人がうそつきだ」ということがウソになります。すると「クレータ人は正直だ」ということになるので、このクレータ人が言っている「クレータ人はうそつきだ」という言葉は本当のことになります。以下、この繰り返しで、結局、「クレータ人がうそつきだ」という言葉は本当かウソか分からない、という話です。このタイプの文はもっと磨きをかけられて「ラッセルのパラドックス」というものになり、20世紀の数学基礎論において重要な役割を担うことになりました。ラッセルのパラドックスについては私の知識ではうまく説明できないので、これ以上深入りしません。


エピメニデースに「あなたは詩の中で『クレタ人は、いつもうそつき』と歌いましたが、そういうあなたもクレータ人ではないですか?」と尋ねたら、きっと彼は「『自分以外のクレータ人は』という意味でこう歌ったのだ。そんなことも分からないのか。」と答えたことでしょう。そして上に述べたような小難しい話はどこかへ吹き飛んでしまったことでしょう。