神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(9):民族の変遷

では、ヘーロドトスの伝えるこの伝承の全体を見ていきましょう。

それはミノスがダイダロスの行方を求めて、今日シケリアと呼ばれているシカニアにゆき、ここで横死を遂げたと伝えられるからである。後になってクレタ人はある神のお告げに促されて、ポリクネとプライソス両市の住民を除く全島民が大挙してシカニアに赴き、カミコスの町を五年にわたって包囲攻撃したという。(中略)しかし結局占領することができず、食糧不足に悩まされては踏み留まることもかなわず、企図を放棄して撤退したという。ところがイアピュギア沖を航行中大暴風雨(しけ)に遭い、陸地に打ち上げられてしまった。船はバラバラに破損し、クレタに帰る術ももはや絶えたと思われたので、ヒュリアという町を建てこの町に留まることとなったのであるが、その名称もクレタ人からイアピュギア・メッサピア人と変り、またこれまで島住まいであった彼らが大陸の住人となったのであるという。(中略)
 さてプライソス人の伝承によれば、無住となったクレタ島へはさまざまな民族、特にギリシア人が移住してきた。そしてミノス王の死後二代を経てトロイア戦争が起ったが、この戦いにおいてクレタ人はメネラオスの報復を救援して、他の民族に比して決して劣らぬ働きを示した。しかしその働きの報償としてトロイアから帰国後の彼らに授けられたのは飢饉と疫病とであって、人間のみか家畜までその厄を蒙り、遂には再度クレタは無住の地と化し、三代目のクレタ人が僅かに生き残った住民と共に、この地に住むことになった。


ヘロドトス著「歴史」巻7、170~171 松平千秋訳 から

この記述について上から順に検討していきます。


最初の「ミノスがダイダロスの行方を求めて、今日シケリアと呼ばれているシカニアにゆき、ここで横死を遂げた」というのは、「(6):トロイア戦争まで」でご紹介した伝説を指しています。その次からは新しい情報です。ミーノースがシケリア(=シシリー)島の町カミーコスで横死したあと、クレータ島のほとんどの住民がカミーコスへ向かい、その町を包囲したと、この伝承は述べています。しかし包囲には失敗し、クレータ人たちは撤退しますが「イアピュギア沖を航行中大暴風雨(しけ)に遭い、陸地に打ち上げられてしまった」のでした。イアピュギアというのはイタリア半島を長靴の形になぞらえた時に、そのかかとにあたる地方です。そして彼らは帰国をあきらめ、その地方に住みついてしまいました。

彼らは「ポリクネとプライソス両市の住民を除く全島民」ということでしたので、クレータ島はこの出来事によってほぼ無人になったといいます。なお、ポリクネはクレータ島の西部にある町で、プライソスはクレータ島の東部にあった町です。


こうして「無住となったクレタ島へはさまざまな民族、特にギリシア人が移住してきた」と上の伝承は述べています。この書き方は、それ以前のクレータ島にはギリシア人が住んでいなかったかのような書き方です。実は別のところでヘーロドトスは、ミーノースの時代のクレータ島にはギリシア人でない民族が大多数であったことを述べています。

往古のクレタはことごとく非ギリシア人に占拠されていたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、173 松平千秋訳 から

このことは実は考古学からも裏付けられています。というのは、クノッソス宮殿の遺跡などから線文字Aという文字で書かれた粘土板が発掘されているのですが、この文字で書かれた文章がギリシア語でないからです。では何語が書かれているかいうと、実はまだ解読されていないのです。解読されていないのになぜギリシア語ではないことが分かるのかといいますと、以下の理由からです。クレータ島からは線文字Aとほとんど同じ文字を使っているが書き方が少し異なっている線文字Bというものも発掘されています。そして線文字Bは古代のギリシア語を表わしていることが判明しました。線文字Bを解読した仕方で線文字Aを解読しても解読できないので、線文字Aは別の言語を表わしていることが分かったのです。そして、線文字AとBとでは線文字Aのほうが古いことも分かっています。こういうわけで、クレータ島には最初、ギリシア民族ではない線文字Aを使う民族が住んでおり、次にギリシア人がやってきて線文字Aを自分たちの言語を書き表すのに転用したのだと推定されています。

(上:線文字A、下:線文字B


トロイア戦争に出征したのは、あとから来たギリシア人でした。そしてトロイア戦争後、飢饉と疫病によって再びクレータ島の人口が減少し、そこにまた別の種族がやってきたのでした。それを上の引用では「三代目のクレタ人」と呼んでいますが、これはドーリス人(ギリシア人の一派)のことを指しています。というのは、ヘーロドトスの生きていた時代にクレータ島に多くいたのは、ドーリス人だったからです。


以上をまとめると、クレータ島には最初、謎の民族が住んでいて、次にギリシア人(ギリシア人の中のどの種族であるかまでは分からないですが)に交代し、その次にドーリス人に交代した、ということです。