神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(8):疫病と飢饉

クノッソスに帰国したのちのイードメネウスのことが、BC 1世紀のローマの詩人ヴェルギリウスの作った叙事詩アエネーイス」にわずかに述べられています。

そのとき噂が飛んでいて、将イードメネウスは国人に、
クレータの島を追い出され、クレータの岸を立ち去って、
その家に敵(=イードメネウス)はもう居らず、あとに残ったその場所は、
われら(=アイネイアースを中心とするトロイアからの落人たち)が来るをただ待つと――


ヴェルギリウスアエネーイス」第3巻 泉井久之助訳 より

陥落したトロイアから落ち延びた、トロイアの王族アイネイアースの一行は、その後安住の地を求めてエーゲ海をさまよっていました。彼らはデーロス島で受けた神託を間違って解釈し、クレータ島こそが神意に叶う自分たちの安住の地だと思い込んだのですが、そのときに「かつての敵イードメネウスがすでにクレータ島から去っていた」という噂を聞いた、というのです。いったいイードメネウスに何が起きたのでしょうか? 上の本の訳注には以下のように書かれています。

このクレータの英雄(=イードメネウス)はギリシア軍に加わりイーリオン(=トロイアの別名)に戦ったもの。後クレータに凱旋してから国内におこる疫病の責任を負わされ、追放されて南伊カラーブリアに国を立てたといわれる。


ヴェルギリウスアエネーイス」第3巻の訳注より

さらに詳しい経緯は、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」に書かれていました。

また他の所伝では、イードメネウスは帰国の航海中に嵐に遭い、無事帰国の暁には、上陸して最初に出会った人間を犠牲に海神ポセイドーンに捧げる誓いをしたところ、その最初の人間とはわが子であり、彼は誓を守った。この残虐行為は神の怒りをかい、疫病が発生、彼は人民に追われ、南イタリアのサレンティーニー人の国に赴き、アテーナーの神殿を建てた。


高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」の「イードメネウス」の項より


先ほど引用した「アエネーイス」にも、クレータ島に起きた疫病(と飢饉)の描写があります。これは、イードメネウスがその責任を負わされて追放されることになった疫病ではなく、その後クレータ島に移住したアイネイアースの一行を襲った疫病と飢饉の描写ですが、イードメネウスが直面した疫病の様子も似たようなものだったことでしょう。以下がその描写です。

・・・・突然に、崩れた空の一部から、
苦しく無残な悪疫と、斃死(へいし)をもたらす天候が、
われらの五体と収穫と、木々とを襲って人々は、
命を失なうものもあり、弱る五体を牽(ひ)くもある。
同時に星のシーリウスは、畑を焼いて不毛にし、
草は燃え枯れ苗床は、病んでわれらに食料を、
拒むようになりました。


ヴェルギリウスアエネーイス」第3巻 泉井久之助訳 より

トロイア戦争後にクレータ島を襲った疫病と飢饉については、ヘーロドトスも記述しています。

ミノス王の死後二代を経てトロイア戦争が起ったが、この戦いにおいてクレタ人はメネラオスの報復を救援して、他の民族に比して決して劣らぬ働きを示した。しかしその働きの報償としてトロイアから帰国後の彼らに授けられたのは飢饉と疫病とであって、人間のみか家畜までその厄を蒙り、遂には再度クレタは無住の地と化し、三代目のクレタ人が僅かに生き残った住民と共に、この地に住むことになった。


ヘロドトス著「歴史」巻7、171 松平千秋訳 から

この伝承によれば、トロイア戦争後、疫病と飢饉によってクレータ島は人口が大幅に減少したということです。上の引用には「再度クレタは無住の地と化し」とありますが、「再度」と言っているのは、この伝承によれば、トロイア戦争以前にもクレタが「無住の地と化した」ことがあったとしているからです(この伝承の全体については別の箇所で検討します)。