神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(7):イードメネウス

イードメネウスは、トロイア戦争を描いたホメーロス作の「イーリアス」では、いろいろな場面で活躍しています。彼はここではピュロスネストールほど高齢ではないが、それでも白髪の交じる、もう若くはない人物として描かれています。まずは、戦場において彼が自分の氏素性を名乗る場面を紹介します。

イードメネウスは 大音声で呼ばいあげ、大層もなく得意で言うよう、
「デーイポボスよ、いかさま、私らが同格だとでもいえたものかな、
(中略)それなら自身私に 面と対(むか)って立ったがよい、
そしたら此処に ゼウスの裔とて来て居る私が、どれほどの者か思い知ろうよ。
まず御神(=ゼウス)が ミーノースをば、クレーテー島の司(つかさ)として産ませたもうた、
ミーノースはさらに 人品すぐれたデウカリオーンを息子に儲け、
デウカリオーンが この身(=イードメネウス)をば、広やかなクレーテー島に 数多くの
つわものどもの君(きみ)として儲けたのを、今 この処(=トロイア)へ 船の列(つら)ねが、
御身や、父御や、またその他のトロイエー(=トロイア)人らの禍いとして載せて来たのだ。」


ホメーロスイーリアス」第13書 呉茂一訳 より

ここで「デーイポボス」というのはトロイアの王子の一人です。


イードメネウスは戦場では投槍を得意としていました。

この際(きわ)に、はや白髪まじりの年ながらも、ダナオイ勢(=ギリシア勢)を 督励して、
イードメネウスが、トロイエー(=トロイア)軍に襲いかかり、畏怖心(おそれごころ)をひき起した。
まず打ち取ったはオトリュオネウスとて カベーソスから城内へと、
それもつい近頃のこと、噂さを聞いて、到来した者、
して、(トロイア王)プリアモスの娘のうちでも容色の殊にすぐれた カサンドレーを、
結納なしに貰おうという、だが代わりに大した仕事を約束した、
とはつまり、トロイエーから アカイアの子ら(=ギリシア人)を 否(いや)が応でも追っ払おうとで。
されば老王のプリアモスも、承知をして、嫁にやろうと
約束したもの、それで男も 約束を当てにし 戦さをつづけた、
その男の体に対(むか)って、イードメネウスは 閃(きら)めく槍の狙いを付け、
反り返って歩いて来るのへ 向って投げれば、着込んでいた
青銅の胸甲(よろい)も 役に立たず、腹の真中に突き刺さった。
地響たてて倒れたのへ 対(むか)い、こちらは 勝ち誇って声をあげるよう、
「オトリュオネウスよ、いかさま御身を 人間のうちの誰にも優って
褒めてあげるぞ、もしダルダノスの裔プリアモスに 請負ったことを
本当にすっかり果たそうならば。(中略)」
こう言って、劇しい斬り合いの中を 脚を持ち引き擦って行く
イードメネウスの殿に向ってアシオスが、仲間を禦(ふせ)ぎに出かけて来た、
馬車の前に徒歩(かち)立ちとなり。その肩のところで 二匹の馬が息を吐くのを、
いつも手綱を執る介添役が引留めていた。アシオスはイードメネウスを
撃とうとばかり心逸るのを、それより早く此方から 顎(あぎと)の下の
咽喉(のど)笛を槍で突いて、青銅の穂先をずっぷり突き徹せば、
どっと倒れる・・・・


同上


トロイア戦争ではギリシアトロイア方双方で多くの武将が倒れましたが、イードメネウスは最後まで生き残りました。そして無事にクレータ島に帰国しました。次の場面は、トロイア戦争終結から10年後、ピュロスネストールが、自分のところに訪ねて来た、オデュッセウスの息子テーレマコスに対して話しているところですが、そこでネストールはイードメネウスが無事に帰国したことを語っています。

しかし私(わし)らが館うちに、坐っていながら、耳にした限りは残らず
申し上げよう、それが正しく然るべきこと、秘(かく)し立てはけしてすまい。
噂では、槍に名を獲たミュルミドーンらは、恙(つつが)もなく帰国したげな、
武勇にすぐれるアキレウスの、誉れかがやく子息の指揮で。
同じく無事に、ポイアースの立派な子息、ピロクテーテースも戻ったとか。
イードメネウスも、自分の部下を残らずつれてクレーテー島へ立ち帰った、
この連中は、戦場を脱け出てからは、一人として海上でも奪(と)られなかった。


ホメーロスオデュッセイアー」第3書 呉茂一訳 から