神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ピュロス(6):テーレマコスのピュロス訪問

ネストールはトロイア陥落ののち、無事にピュロスに帰還します。それから10年後、ピュロスのネストールのもとにオデュッセウスの息子テーレマコスがやってきました。テーレマコスは、トロイアから一向に帰ってこない自分の父親について何か消息を知らないか尋ねるために、ネストールの許を訪れたのでした。テーレマコスは知らなかったのですが、オデュッセウスは海の神ポセイドーンの怒りに触れ、トロイア戦争ののち10年もの間、地中海のあちらこちらをさまよっていたのでした。テーレマコスに尋ねられたネストールは、トロイアの地ではオデュッセウスと一緒でしたが、帰国の航海が別だったので、やはりオデュッセウスの運命については知りませんでした。のちにテーレマコスが故郷のイタケー島に帰還した時、彼は自分の母親ペーネロペイアにこの時のことを述べています。

それなら私が、母上さま、本当のことをすべてお話いたしましょう、
私たちはまずピュロスへ、諸民の牧者なるネストールの許へゆきました、
するとあちらは、高く聳える館のうちへ私を受け入れ、
然るべきよう鄭重にもてなしてくれ、まるで親父が自分の息子の
長い留守からやっと今しも帰って来たのを迎える、そんな具合に
あちらは私を、誉れも高いご子息方ともどもよろしく接待なさった、でも
辛抱づよい心をもったオデュッセウスのことはけっして、生きているとも
死に果てたとも、この世にある何人からもてんで聞かぬ、と仰せでした。
しかし私を、アトレウスの子の、槍に名を獲たメネラーオスの
もとへと、馬をこしらえのよい車につけ、送り届けて下さいました。


ホメーロスオデュッセイアー」第17書 呉茂一訳 より

ネストールはテーレマコスに対し、スパルタのメネラース王を訪ねるように助言しました。

というのは、メネラーオスはトロイアから帰還する際に嵐に会い、エジプトに漂着し、そこで数年を過したのちにやっと帰国したからでした。メネラーオスならばオデュッセウスの消息について何か知っているかもしれない、とネストールは言いました。そして、自分の末子であるペイシストラトスを案内人としてテーレマコスに付けてくれました。こうしてテーレマコスはペイシストラトスとともにピュロスからスパルタに向います。



(右:ヘンリー・ハワード(1769–1847)作「ネストールと別れるテーレマコス」)


なお、BC 6世紀のアテーナイの僭主であるペイシストラトスは、このペイシストラトスの子孫とされています。

ペイシストラトス一族は、その後スカマンドロス河に臨むシゲイオンに移り住んだが、そのアテナイ支配は三十六カ年に及んだわけである。この一族は、その先祖にさかのぼればピュロス人でネレウスの後裔である。(中略)ヒッポクラテスが、ネストルの子ペイシストラトスの名にちなんで、自分の子供に同じペイシストラトスの名を附けたのも、右の来歴を記念するためだったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、65 から

話が脇にそれました。


さて、スパルタのメネラーオス王はテーレマコスにオデュッセウスの消息を聞かせます。彼がエジプトの近くの島にいる時、老人の姿の海の神プロテウスから、オデュッセウスのことを聞いたというのです。

「彼(=プロテウス)が言うには、その方(=オデュッセウス)はいま、ある島にいてきつい苦艱を受けておいでの
ところを見た、カリュプソーというニンフの館で、それが無理やり
引きとめるので、自分の故郷に帰って来ようもないとのこと、
というのも手許に、大海の広い背(そびら)をわたって送り届けてくれよう、
櫂(かい)のそろった船もなければ、船子たちもないからなのだが。」
こうアトレウス家の、槍に名を獲たメネラーオスは仰せでした。


ホメーロスオデュッセイアー」第17書 呉茂一訳 より

オデュッセウスは、ニンフ(神よりは地位が低い妖精のような存在。女性である。)のカリュプソーに気に入られて、カリュプソーの住む島に留められていたのでした。

(上:アルノルト・ベックリンオデュッセウスとカリュプソ」1882年)


さて、テーレマコスがスパルタからピュロスに戻り、さらにピュロスから故郷のイタケー島に戻る時のことです。この時、一緒に船に乗せてくれ、とテーレマコスに言ってきた若者がいました。この若者はテオクリュメノスといい、「ピュロス(2)」で登場したメランプースの子孫でした。つまり、テオクリュメノスの父はポリュペイデースで、ポリュペイデースの父はマンティオスで、さらにその父がメランプースなのでした。そしてテオクリュメノスは、メランプースと同じように予言の能力を持っていました。彼自身はアルゴスで育ったのですが、そこで殺人の罪を犯し、ピュロスに逃げてきたのでした。テオクリュメノスはテーレマコスと一緒にイタケー島に向います。その後の話はピュロスとはあまり関係がないので省略します。