神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ピュロス(5):トロイア戦争

ネストールには、エーリス人のモリーオネーの双子との戦いや、アルカディアの巨人エレウタリオーンとの一騎打ちなどの伝説がありますが、断片的にしか伝わっていないようです。そこで、ネストールが老年になってから参加したトロイア戦争にまで、話を飛ばすことにします。


ネストールは2人の息子アンティロコスとトラシュメーデースとともにトロイア戦争に参加しました。ホメーロスの「イーリアス」では、ギリシア側の総大将であるミュケーナイ王アガメムノーンが諸将の戦いぶりを督戦する場面があります。アガメムノーン王がネストールを見かけた時、ネストールはピュロス勢を前にして戦いの心得を訓示しているところでした。

今度はネストールに出逢った、このピュロス勢の声朗々たる弁舌家は、
いま自分の仲間を戦さへと勢揃えさせ 励まし立てているところで、
(中略)
「誰にもせよ決して身の 馬術や武勇に心おごって、
一人で他(ひと)に先をかけ、トロイエー軍とたたかおうなど逸(はや)り立っては
ならぬぞ、また退いてもならぬ、さすれば後が手薄になろうからな。
また自分の車に乗ったままで 敵の戦車に手が届こうと思う武士は
長槍を突き出したがいい、そのほうがずっと優っているから。
このようにして古(いにし)えの人も 城市やとりでを攻め取ったのだ、
そうした工夫や意気込みを 自分の胸のうちに収めて。」
 こう昔から戦の術によく通じていたかの老将は 励ましていった。


ホメーロス 「イーリアス 第4書」 呉茂一訳 より

この様子を見たアガメムノーンは、ネストールにこう話しかけます。

「おお、年寄(=ネストールのこと)よ、まことに御身の胸中にある 気力ぐらいに、
膝も御身に随(つ)いて動け、膂力もしっかりしてたらばなあ。
だが、いまわしい老(おい)が 御身をさいなむとは。いっそう誰か他人に老が
とりついてくれたらよいのに。御身はもっと若い者らの仲間にいれとき。」


同上

それに対してネストールはアガメムノーンに次のように答えています。

「アトレウスの子(=アガメムノーンのこと)よ、いかにも全く私にしても願っているのだ、
昔あの勇しいエレウタリオーンを 殺した折のようだったらと。
だがけして、神様方が人間へ、何もかもを一度きに お与えということはないもの。
その折若い者であれば、現在はもう老がせまっているのが道理、
だがそれにしても 騎馬武者どもの中に混って謀りごとなり
言葉でなりと激励しましょう、それが年寄どもの特権だから。
槍はいくらも若い者らが振り廻そうよ、いかさまわしより
ずっと生れた年も遅いし、腕にも覚えのある者どもがな。」


同上

昔の武勇を語るのを好み、また知恵者である、というネストールの性格をよく表現している詩句です。


さて、このように戦場でも意気軒高たるネストールでしたが、それでも自分の息子アンティロコスを亡くすという悲運に遭わなければなりませんでした。トロイア側に味方したメムノーンは、暁の女神エーオースの息子でしたが、彼が戦場でネストールに立ち向かったことがありました。アンティロコスは父を助けるためにメムノーンと戦い、これによってネストールはメムノーンから逃れることが出来たのですが、アンティロコスはメムノーンに討たれてしまったのでした。もっとも、メムノーンものちにアキレウスに討たれることになるのですが。

(上:アキレウスに討たれたメムノーンを母親の女神エーオースが戦場から故郷のエチオピアに運ぶところ)


トロイア戦争後のことですが、ネストールの一番下の息子であるペイシストラトスが、兄のアンティロコスの戦死を思い出して嘆く場面が、ホメーロスの「オデュッセイアー」にあります。

もとよりネストールの息子(=ペイシストラトス)とても、両眼を涙に濡らさぬわけはなかった。
というのも、胸中に人品すぐれた(兄)アンティロコスを思い出したので。
その人は輝かしい暁(の女神)の栄(は)えある息子(メムノーン)に討たれたのを、
いま思い出て、ペイシストラトスは翼をもった言葉をかけて語るようには・・・・


ホメーロスオデュッセイアー」第4書 190行あたり 呉茂一訳 より