神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(2):ヨーロッパという名前の由来

BC 5世紀の歴史家で「歴史の父」と呼ばれるヘーロドトスは、このエウローペーの伝説を妙に脱神話化した話を伝えています。

名前は伝わらないが、なにがしかのギリシア人が、フェニキアテュロスへ侵入し、王の娘エウロペを掠め去ったというのである。このギリシア人というのは、クレタ人であったかと思われる・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻1、2 から

テュロスというのはフェニキアの都市の名前です。フェニキア人も古典期のギリシア人と同じように都市国家を営んでいました。フェニキアという単独の国家があったわけではありません。さて、上の話はヘーロドトスによれば、(たぶんヘーロドトスと同時代の)ペルシアの学者の説だということです。しかし、こんなにギリシア神話に似た話をペルシア人が語っていたとは私には信じられません。それはさておき、この説によれば、エウローペーをフェニキアから連れ去ったのはゼウス神ではなく、ただの人間だったということになります。この説をヘーロドトス自身が信じていたかについては、彼が語っていないので分かりません。


ヘーロドトスはヨーロッパ大陸の名前の由来を考察した箇所でもエウローペーについて取り上げています。ところで、ヨーロッパという名前の由来は、このエウローペーです。とはいっても、カタカナで書く限り両者の差は大きくて本当らしく思えないかもしれません。しかし、「ヨーロッパ」という単語は英語でEuropeと書きます。これをそのままローマ字読みすればエウロペになります。エウローペーとエウロペはほぼ同じです。なお、現代のイタリア語ではヨーロッパのことをエウローパというそうです。

 またヨーロッパ(エウロペ)が周囲を河海でめぐらされているかどうかは何人も知らず、その名称をどこから得たのか、その命名者がたれであるかも明らかでない。われわれとしては僅かにこの地方がその名をテュロスの女エウロペから得たことをいい得るのみである。(中略)ともかくエウロペなる女がアジアの出身であることは明らかで、この女が今日ギリシア人がヨーロッパと称している土地へきたことはなく、せいぜいフェニキアからクレタクレタからリュキア(=小アジアの南西の地方)までしかいっていないことも明白である。


ヘロドトス著「歴史」巻4、45 から

上の記述では、ヘーロドトスはゼウスのことを語らず、エウローペーのみを語っているので、先の引用にあったペルシアの学者の説と同じようにエウローペーを神話上の人物ではなく、歴史上の人物のように考えていたように感じ取れます。


ヘーロドトスの時代(BC 5世紀)のギリシア人にとって世界の大陸はヨーロッパ(エウローペー)、アジア(アシア)、アフリカ(リビュア)の3つでした。アフリカ大陸のことは古代のギリシア人はアフリカとは呼ばず、リビュアと呼んでいました。これらは全て女性の名前に由来しています。

そもそも何故に本来一つである陸地に女の名に由来をもつ三つの名が附けられ、またエジプトの河であるナイル河、コルキスの河パシス(=現代のジョージアのリオニ河)(中略)がその境界線とされているのか、その理由は私の理解に苦しむところであり、またどういう人たちがそのような区分をしたのか、その人たちの名前も、またそれらの命名の由来も私は知ることができぬのである。リビアはその地方の土着の女リビア(リビュア)にちなんだ名であると多くのギリシア人はいっており、アジアはプロメテウスの妻の名に基いたものという。


同上

ちなみに当時のギリシア人が考えていた世界の姿は、下の図のようなものでした。


私がエウローペーの物語から感じるところでは、ヨーロッパというのは本来クレータ島を指していて、一方、アジアはフェニキアを、つまり今のレバノンあたりを指していたように思えます。日本語版ウィキペディアの「ヨーロッパ」の項を見たところ、エウローペーの語源をフェニキア語で「夕方、西」を意味するエレブ(ereb)とする説があるそうです。この説が正しければ、フェニキア人がクレータ島を、自分たちから見て西にある島ということでエレブと呼んだのが、ギリシア人に伝わってエウローペーになったのかもしれません。
 ではアジアの語源は何なのか気になるところです。日本語版のウィキペディアの「アジア」の項では、アッシリア人エーゲ海の東を「アス」 asu (「東」「日の出」の意)と呼んでいた、という説を紹介していますが、英語版では小アジアにかつてあった地域名「アスワ」が語源になったという説を紹介しています。