神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エリュトライ(1):エリュトライのシビュラ

エリュトライはイオーニア12都市の1つで、海を挟んでキオスの島と対峙しています。

(上:イオーニア12都市の位置)



(上:エリュトライ付近の地図)


エリュトライについてはあまり情報がありません。それでも後世、ルネッサンスになってから有名になった伝説があります。それは「エリュトライのシビュラ(女予言者)」の伝説です。


ルネッサンス期の画家、彫刻家だったミケランジェロの描いた「システィーナ礼拝堂天井画」の中にはシビュラと呼ばれる5人の女性の予言者が描かれています。それらは、

  • ペルシアのシビュラ
  • エリュトライのシビュラ
  • デルポイのシビュラ
  • クーマエ(ナポリの近くの古代の町)のシビュラ
  • リビュアのシビュラ

と呼ばれています。当時、これらのシビュラは、救世主の出現を予言したと信じられていたために、この天井画に描かれることになったのでした。しかし、これはキリスト教が力を得てから出来た伝説であり、元々の伝説ではシビュラはキリスト教とは結びついていませんでした。もともとの伝説では、シビュラはアポローン神の予言を伝える者でした。シビュラは狂乱状態で予言をヘクサメトロス詩形で告げ、その言葉を木の葉に記したといいます。しかし、風が吹いてその木の葉の順番が乱れてしまってもシビュラは気にしなかったともいいます。そうではなくて、予言は本の形にまとめられたとも言います。それは「シビュラの書」と呼ばれ、古代ローマではこの書が厳重に保管されていました。


パウサニアースによれば、4人のシビュラが存在していたことになっており、最初のシビュラは、ゼウスとラミアの娘であり、ラミアというのはポセイドーンの娘だったと言います。そしてリビュア人によって彼女はシビュラと名付けられたと言います。ミケランジェロの絵の中でリビュアのシビュラと呼ばれているのは、おそらくこのシビュラでしょう。


2番目のシビュラの名はヘロピレーと言い、パウサニアースによれば、エリュトライ人は他のどのギリシア人よりも熱心に、ヘロピレーを自国生まれの女性であると主張していた、ということです。しかしパスサニアース自身はそれを疑い、彼女はトロイアの近くのマルペッソスの生れであるという説を、ヘロピレーが歌った詩を根拠にして支持しています。ここでは、エリュトライの人々に加担して、彼女をエリュトライ生まれとします。エリュトライの伝説によれば、彼女の父はエリュトライの羊飼いであったテオドロスという人物で、彼女の母親はニンフの一人で、彼女はコーリュコスという名前の山の洞窟で生まれたと言います(パウサニアス「ギリシア案内記」 10.12.7)。ヘロピレーは、トロイア戦争トロイアの滅亡を予言し、また、のちにホメーロストロイア戦争についてウソの話を歌うことになるであろうと予言したということです。このことを記したのは「エリュトライのアポロドーロス」という人物だそうですが、この人物の情報は見つかりませんでした。さて、トロイア戦争を予言したということは、ヘロピレーはトロイア戦争以前に生れたことになります。また、アポローンの聖地のひとつであるデーロス島には、ヘロピレーが作ったというアポローンへの讃歌が伝えられていました。この讃歌の中でヘロピレーは、自分のことをアポローンの妹アルテミス、あるいはアポローンの正妻、あるいはアポローンの娘、と呼んでいたということです。




(右:エリュトライのシビュラ。ミケランジェロのシスティーナ大聖堂天井画より)

3番目のシビュラはイタリアのクーマエのシビュラで、名前をデーモと言い、イタリアの原住民のひとつであるオピキ族の出身でした。しかしクーマエ自体はギリシア人によって建てられた植民市で、元の名をキューメーといいました。この町はエウボイア島の町カルキスエレトリアからの植民により建設されました。


このクーマエのシビュラも、実はヘロピレーであったという説があります。この説によれば、ヘロピレーは神アポローンから、片手に握れる砂粒の数だけの寿命を与えられたが、エリュトライの地を決して見ない約束だったので、クーマエに移ったといいます。このようにシビュラの伝説は非常に曖昧模糊としています。


4番目のシビュラは、パウサニアースによればヘブライ人の間に出現し、その名をサーベと言ったといいます。しかし、この女性をある人はバビロニアのシビュラだといい、別の人はエジプトのシビュラだとも言います。要するに非常に曖昧な存在です。ミケランジェロの描いたシビュラの中では「ペルシアのシビュラ」がこれに当たるのかもしれません。


ミケランジェロの描いた5名のシビュラをパウサニアースの記述と対応付けると、「デルポイのシビュラ」だけが余ってしまいます。パウサニアースによれば、ヘロピレーがデルポイに来て託宣を歌ったということなので、デルポイのシビュラもヘロピレーなのかもしれません。


別の伝説によれば、エリュトライには後のアレクサンドロス大王の時代にアテーナイスという名のシビュラが出現したといいます。このシビュラはアレクサンドロスのことを大神ゼウスの息子であると託宣したといいます。