神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エリュトライ(2):町の起源

エリュトライのシビュラが生れたのはトロイア戦争より前でしたが、イオーニア人がエリュトライに植民したのは、トロイア戦争よりあとのことでした。すると、イオーニア人が来る前にはエリュトライはどうなっていたのでしょうか? パウサニアースが伝えるところによると、エリュトライは、クレータ島から来たエリュトロスという男によって建設されたということです。

エリュトライ人はいうには、彼らは元来ラダマンテュスの子エリュトスとともにクレータ島から来た者であり、このエリュトスが自分たちの町の建設者であったということです。クレータ人とともにこの町にはリュキア人やカーリア人やパンピュリア人も住んでいました。というのは、リュキア人はクレータ人との親族関係によってであり、それは彼らが昔サルペードーンとともにクレータから逃げてきたからであり、カーリア人はミーノースとの昔の友誼関係によってであり、パンピュリア人は彼らもまたギリシア民族に属するからで、というのは、彼らはトロイア陥落ののちカルカースとともに放浪した人々に属していたからです。


パウサニアース「ギリシア案内記」7.3.7 より

ラダマンテュスというのは、クレータ島の神話的な王ミーノースの弟です。つまり、エリュトロスはクレータの王族であり、その王族がエリュトライを建設したということです。上に引用した文章を書いたパウサニアースは、エリュトロスとそれに従った人々をギリシア人であると考えていたようですが、私はギリシア人ではないのではないか、と思っています。というのはミーノース王の伝説には、クレータ島の先史文明であるミノア文明の事績が反映しているように思えるからです。(なお、ミノア文明の名前は、考古学者によってミーノースの名前から付けられました。)そして、ミノア文明の担い手であった人々はギリシア語とは別の言語を話していたことが分かっています。ただし、それが何語なのか、あるいは何語に近い言語なのかは未だ分かっていません。私は上の記事から、エリュトライは太古にミノア文明の担い手によって建設されたことを暗示しているのではないか、と想像しています。上の記事によれば、エリュトライにはクレータ人のほかにリュキア人やカーリア人やパンピュリア人も住んでいたということです。これらは、ギリシア人とは別の民族でした(パウサニアースは上の記事で、パンピュリア人をギリシア人の中に入れていますが。)こういうところからも、エリュトライは、最初はギリシア人以外の民族の町であったように思います。

(上:ミノア文明の遺物)


上の引用における「リュキア人はクレータ人との親族関係によってであり、それは彼らが昔サルペードーンとともにクレータから逃げてきたからであり」という文章の意味するところをヘーロドトスの「歴史」からの記事で補足します。なお、サルペードーンもミーノース王の弟です。

リュキア人はその古い起源をたずねるとクレタに発している――往古のクレタはことごとく非ギリシア人に占拠されていたのである。クレタではエウロペの二子サルペドンとミノスとが王位を争い、ミノスがその争いに勝つと、サルペドンとその一味を放逐してしまった。追放されたサルペドンはアジアのミリュアス地方に移ってきたが、現在リュキア人の住む地方が、すなわち昔のミリュアスであり、ミリュアス人は当時ソリュモイ人の名で呼ばれていた。さてサルペドンが支配していた間は、この一党はクレタ在住以来の名前をそのままに、テルミライ人と呼ばれていた(中略)。ところがパンディオンの子でリュコスという者が、彼もまた兄弟のアイゲウスに追われてアテナイを去り、テルミライ国へきてサルペドンの許に身を寄せて以来、その名にちなんでやがてリュキア人と呼ばれるようになったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、173 から


また、「カーリア人はミーノースとの昔の友誼関係によってであり」の箇所についてはヘーロドトスの以下の記事が参考になります。

カリア人は、島から大陸に渡ってきたものである。というのは、古くはミノス王の支配下にあってレレゲス人と呼ばれ島に住んでいたのである。しかし彼らは、私が口碑を頼りにできるだけ過去に遡ってみた限りでも、貢物なるものは一切納めず、ミノス王の要求があれば、その度ごとに船の乗員を供給したのであった。ミノスは広大な地域を制圧し戦争では常勝の勢いであったから、カリア民族もこの時期においては、あらゆる民族の内で最もその名が轟いていたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、171 から