神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メガラ(11):植民活動


メガラ人はシシリー島(当時の呼び方ではシケリア島)にメガラ・ヒューブライアという植民市を建てましたが、これはBC 728年頃のこととされています。この植民の経緯については歴史家トゥーキュディデースが記しています。

 これと同じ頃、メガラからもラミスが植民団をひきいてシケリアにやってきた。そしてパンタキュアース河を見おろす地点に、トローティーロンという国を開いた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻6・4 から

「これと同じ頃」というのはBC 729年頃ということです。この時、ラミスという人物に率いられたメガラ人の植民者たちがシケリア島にやってきたのでした。この植民者たちが最終的にメガラ・ヒューブライアを建設するのですが、そこまでにいろいろな出来事がありました。まず彼らはトローティーロンという町を作ったのですが、これより以前にすでにシケリア島にはギリシア人の植民市が存在しました。トゥーキュディデースによると最初にやってきたのはエウボイア島の町カルキスの住民で、彼らがやってきたのはラミスとメガラ人より数年早いとのことです。さて、このメガラ人たちはすぐにトローティーロンを棄てて、レオンティーノイに移住しました。レオンティーノイはその頃カルキス人によって建てられたばかりの町でした。しかし、メガラ人とカルキス人の間の仲が悪くなり、メガラ人はレオンティーノイを追出されます。次にメガラ人たちはタプソスという町を建設しました。今までメガラの植民団を率いてきたラミスはここで死亡しました。何があったのかをトゥーキュディデースは書いていません。その時に原住民であるシケロス人の王ヒューブローンが、もっと別にいい土地があるといって、そこに住むことをメガラ人たちに勧めました。きっとそうすることによってヒューブローンにも何かメリットがあったのでしょう。そこにメガラ人たちは母市と同じ名前のメガラという町を建てました。母市のメガラと区別するために「ヒューブローンのメガラ」という意味でメガラ・ヒューブライアと呼ばれるようになりました。


このあとBC 720年に開催された第15回オリュンピア大祭で、母市のほうのメガラの人オルシッポスが1スタディオンの徒競走で優勝しました。彼は初めて裸で走った人と言われています。


英語版のWikipediaの「メガラ」の項目によると、このあとメガラはコリントスに対して独立戦争を戦い、そして独立を達成したということです。そしてその後のBC 685年には、現在のトルコの第一の都市イスタンブールの近くボスポラス海峡の対岸に植民市カルケードーンを、そしてBC 667年にイスタンブールの地に植民市ビューザンティオンを建設しています。


さて、メガラ・ヒューブライアに話を戻しますと、この町は245年間存続したあと、南のシュラクーサイ市の僭主ゲローンによって攻撃され陥落しました。そして町はシュラクーサイに併合され、住民は奴隷の身分に落されてしまいました。ちなみにシュラクーサイはコリントスの植民市でした。あまり目立った活動のなかったメガラ・ヒューブライアですが、BC 728年の建国から100年後のBC 628年に植民団を送り出し、植民市セリーヌース(現在名セリヌンテ)を同じシケリア島内に作っています。このセリーヌースはメガラ・ヒューブライアよりも栄え、有名になりました。この時の植民団を率いた人物はパミーロスといい、彼はメガラ・ヒューブライアではなく、母市のメガラの出身でした。つまり、母市メガラもセリーヌース建設を援助したのでした。

(上:セリーヌースの女神ヘーラーの神殿)


一方、BC 685年建設のカルケードーンとBC 667年建設のビューザンティオンについてですが、この2つの町は、海峡を挟んで非常に近い位置にあります。のち、BC 513年頃ペルシアの将軍メガバゾスがこの地方を平定した時に以下のように評して、ビュザンティオンがカルケードーンよりも立地条件がずっと優れていることを述べたといいます。

このメガバゾスは次のような名言を吐いて、ヘレスポントス人の心にいつまでも消えぬ記憶を残した人物である。彼がビュザンティオンへ行ったとき、この国はビュザンティオン人よりも17年前にカルケドン人が住みついたことがあると聞いていうには、当時のカルケドン人は盲目であったに相違ない。盲目でなかったならば、ずっと良い場所に町造りができたものを、わざわざつまらぬ場所を選んだはずはない、と。


ヘロドトス著「歴史」巻4、144 から


私にはピンと来ないのですが、ビューザンティオンは3方が海に囲まれていて、防衛に優れていることを言っているのでしょうか? 古代にはこの言葉の意味は当たり前に理解されていたようで、古代のギリシア人にとっては一目瞭然のことだったようです。この話はのちに神話化されて、メガラ人ビューザースが、植民市をどこに建設すべきかをデルポイの神託に尋ねた際に、神託が「盲人の町の反対側にある土地に植民せよ」と告げた、という伝説が出来ました。そしてこの伝説によれば、ビューザースは盲人の町とはカルケードーンのことを指すと解釈して、その反対側の土地に植民市を建設し、自分の名前をとってビューザンティオンと名付けた、といいます。