神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(23):ポテイダイア

コリントス人が先の事件(=ケルキューラとアテーナイの連合軍との海戦)の報復をとげようとして策動しはじめると、アテーナイ人はかれらの敵意の赴くところを察知して、つぎの手段をえらんだ。パレーネーの陸峡地帯にあるポテイダイア市はコリントスの植民地であったが、アテーナイと同盟をむすび、同名年賦金の支払国であった。アテーナイ人はこの国の市民らがペルディッカースとコリントス人らの指嗾に動かされて同盟から離叛し、残余のトラーキア地方の同盟諸国を連鎖的に離叛させはしないかと危惧して、ポテイダイア市民にたいして、一、パレーネー側の城壁を取壊すこと。二、人質を差出すこと、三、毎年コリントスから派遣されてくる民政監督官を退去させ、爾後かれらの入国を拒否すること、これら三項目の要求を送った。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1、56 から

ポテイダイアは、カルキディケー地方のパレーネー半島にあるコリントスの植民地で、ペリアンドロスの時代に建設されました。


カルキディケー地方は、元々エウボイア島の町カルキスがそこに多数の植民市を作ったことからカルキディケーと名づけられた地方でした。カルキスがイオーニア系の町なので、これらの植民市もまたイオーニア系でした。そのイオーニア系が大多数の地方にあった、たった一つのドーリス系の植民市がこのポテイダイアでした(コリントスはドーリス系の町でした。)。ポテイダイアはアテーナイを盟主とするデーロス同盟に属していましたが、一方ではコリントスの影響下にあるという、難しい立場にありました。


さて、アテーナイ側の要求は、次の3つでした。
1. パレーネー側(南側)の城壁を取壊すこと。
2. アテーナイに人質を差出すこと
3. 毎年コリントスから派遣されてくる民政監督官を退去させ、今後は入国を拒否すること。
パレーネー側の城壁を取壊すように要求したのは、南側、つまりアテーナイが船でポテイダイアに向う時に到達し易い方面を無防備にするためで、これによってポテイダイアはアテーナイに対する防衛能力が損なわれることになりました。また、コリントスポテイダイアの政治に介入するための民政監督官なる役職の人物を派遣していたのですが、その受入れをポテイダイアに拒否させて、コリントスの影響を排除しようとしました。

(上:ポテイダイアの城壁の遺跡)


これらの要求に対してポテイダイアはアテーナイに使節を派遣して、要求の撤回を求めました。一方、アテーナイはすでにポテイダイアに向けて船隊を派遣して、上の要求を無理強いしようとしました。ポテイダイアも、アテーナイに使節を派遣するだけでなく、コリントスにも使節を派遣していました。この使節コリントス政府の代表とともにペロポネーソス同盟の盟主であるスパルタに赴きました。スパルタの政府関係者は、もしアテーナイがポテイダイアに進撃すれば、自分たちはアテーナイ領土に侵攻する、と約束しました。やがてアテーナイに向った使節が、アテーナイからの望ましい回答を得ることなくポテイダイアに帰ってきました。さらにアテーナイから軍船がポテイダイアにすでに向っていることも判明しました。ここに至ってポテイダイアは近隣諸都市と同盟を結び、アテーナイに対して反乱を起したのでした。


一方コリントスは、アテーナイとの和約をやぶることになるのを恐れて正式の軍勢を派遣はしませんでしたが、志願兵の形でポテイダイアに援軍を送りました。

この間にコリントス人は、ポテイダイアが叛乱し、アッティカの船隊がマケドニア沿岸に行動しているのを見て、ポテイダイアの安否を気づかい、この危機は他人事ではないとして、自国の志願兵とペロポネーソス同盟の諸国からの傭兵を募り、総数千六百の重装兵と四百の軽装兵を現地に派遣した。その指揮者、アデイマントスの子アリステウスは人望あつく、コリントス出身の志願兵の大多数は、指揮者にたいする友情が従軍志願者殆どの動機となっていた。かれが指揮官となったのは常日頃から、ポテイダイア市民たちとの友誼を重んじていたからである。援兵は、ポテイダイアが離叛してから四十日後にトラーキア地方に到着した。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1、60 から

志願兵の指揮官はアリステウスといい、アデイマントスの息子でした。アデイマントスはペルシア戦争当時のコリントスの海軍の指揮官でした。アデイマントスのことをアテーナイ人は卑怯者のように噂し、歴史家ヘーロドトスもそれに影響されてアデイマントスを無能な人物として叙述していました(「(21)アデイマントス」参照)が、アリステウスのこのあとの戦いぶりを見るとアリステウスが優れた指揮官であったことが分かります。このような息子を持った父親も優れた人物ではなかったか、と私は想像します。つまりヘーロドトスの伝えるアデイマントスの話はいつわりのものだろう、と思うのです。では、このあとのアリステウスの活躍を見ていきましょう。