神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(25):アリステウス(2)

ポテイダイアの件だけが理由ではありませんでしたが、スパルタの民議会は開戦を決定しました。

(スパルタの監督官ステネラーイダースは)監督官の職権を発動して、ラケダイモーン人(スパルタ人)の民議会に決議を要求した。(中略)(彼は)「ラケダイモーンの諸君、和約はすでに破られ、アテーナイ人の侵略は事実であると思うものは、こちら側に立て」、と一方を指示し、「これと反対意見のものはそちら側に」、と示した。(スパルタ)市民らは立って二つの組に分かれたが、こうしてみると和約がすでに破られたと考える者がはるかに多数を占めた。そこでラケダイモーン人は、別席に控えていた同盟諸国代表を呼び入れ、アテーナイ人の侵略を事実と見做すこと、後刻同盟加盟国全部から代表を招集し、同盟全体として決議を行うために投票を求め、意見の一致を見れば共同責任において戦争を開始すること、を言渡した。(中略)和約侵害を認めたこの民議会の決議がおこなわれたのは、エウボイア戦争後公布された三十年間和平条約の第十四年目にあたる。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・87 から

このあと改めて招集されたペロポネーソス同盟諸国代表の会議はアテーナイへの開戦を決議しました。そして同盟諸国の軍はコリントス地峡に集結し、そこから進んでアテーナイのあるアッティカ地方に侵入しました。しかし、アテーナイは籠城して陸ではペロポネーソス同盟軍を相手にせず、その海軍を以ってペロポネーソス同盟諸国やそれらの植民市を海上から攻撃しました。そしてアテーナイがポテイダイアから兵を撤退させることは、ありませんでした。


BC 430年、戦争の2年目にアリステウスは、他のペロポネーソス諸国の者と一緒にペルシアの宮廷への使者となりました。これはペルシア王を説得して軍資金を出させるためでした。50年前にはスパルタとアテーナイは協力してペルシアの侵略に立ち向かったというのに、今度はギリシア人同士の争いのために、ペルシアの力を借りようとしたのでした。

また同夏の終りのころ、コリントス人アリステウス、ラケダイモーンの使節アネーリストス、ニーコラーオス、プラートダーモス、テゲア人ティーマーゴラース、および個人資格で参加したアルゴス人ポリスは、ペルシア王を説得して軍資金を仰ぎ、また戦争に直接協力を得ることを望んで、アシアのペルシア宮廷訪問の途についた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻2・67 から

その途中、彼らはトラーキア王シータルケースを訪問しました。シータルケースはこの時アテーナイと同盟を結んでおりましたが、それにもかかわらずペロポネーソス同盟側の使節を受け入れるような日和見的な態度をとっていました。

途中、トラーキアに着くとまずテーレースの子シータルケース王を訪ねた。かれらの意図はシータルケースを説いて、できうればアテーナイとの同盟を解消させて味方につけ、ポテイダイアを包囲攻撃中のアテーナイ勢を攻撃させることであった。またペルシアへの旅程を早めるために、シータルケースの協力をえてヘレースポントスをわたり、かれらをペルシア王宮まで案内するはずになってる、パルナバゾスの子パルナケースのもとまで行くことを望んだ。


同上

しかしシータルケースの宮廷は油断がならない場所でした。アテーナイはシータルケースを自陣営に引き寄せるために、シータルケースの息子サドコスにアテーナイ市民権を与えていました。そして、サドコスはアテーナイ人の影響でアテーナイびいきになっていました。

だがたまたまその時、アテーナイ人の使節として、カリマコスの子レアルコスと、ピレーモーンの子アメイニアデースがシータルケース王のもとにいた。かれらは、アテーナイ市民権を得ていた王子サドコスを説き、もしラケダイモーンの使節らがペルシア王のもとに渡れば、王子の祖国たるアテーナイに甚大な被害を与えることになるが、これを未然に阻止するために、一行をアテーナイ側の手に引き渡すように、と要望した。王子はこの説得に応じて、レアルコスとアメイニアデースと共に一隊の兵を送り、兵士らに命じて、ラケダイモーン側の一行がトラーキアを横切ってヘレースモントスを渡る船着場に向う途次、乗船する暇を与えずかれらを逮捕し、アテーナイ人に引渡すように言つけた。こうして使節一行の身柄を手に入れたアテーナイ人は、かれらをアテーナイへ護送した。一行が到着すると、アテーナイ人は、アリステウスが先頃ポテイダイアやトラーキアの叛乱の主謀者であると見做し、もしかれを逃せば又もや旧にもまさる被害をアテーナイに加えるのではないかと恐れた。そこで使節のある者たちが発言を求めたにもかかわらず、裁判に附することもなく即日全員を処刑して、その屍骸を屍体遺棄場に投げ込んだ。


同上

ポテイダイアを救うために奔走したコリントス人アリステウスはこのようにして生涯を終えたのでした。


コリントスの歴史はまだまだ続き、ペロポネーソス戦争における事績だけでもいろいろ語るべきことはあるでしょうが、それらを述べることは私の手に余ります。アリステウスの話でコリントスについての神話から歴史に至る私の話を終えたいと思います。

(上:コリントスの遺跡。大通り)



(上:コリントスの遺跡)



(上:コリントスの遺跡。ペイレーネーの泉)