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まずヘレニズム時代に書かれた叙事詩「アルゴナウティカ」を解説する古代の注釈者は、サモトラケの「偉大なる神々」に対して、完璧なアイデンティティを付与しているように思われる。
ムナセアスの言によれば、サモトラケでは「カベイロイ」に対する秘儀が行われている。数にして4柱いる、かの神々の名前は、アクシエロス、アクシオケルサ、アクシオケルソス、<カスミロス>である。アクシエロスはデメテルであり、アクシオケルサはペルセフォネ、アクシオケルソスはハデスである。4番目に加えられたカスミロスは、ディオニュソドロスによれば、ヘルメスである。カベイロイという呼称は、この神々がもともと居た、フリュギアのカベイラ山に由来するものと思われている。また、カベイロイというのは2柱で、年長の方がゼウス、年若の方がディオニュソスだと主張する者もいる。
(ロドスのアポロニオス第1歌917行に対する古注)
ここから「ギリシア・ローマ神話辞典」に書かれていた「さらに四人のばあい、その名はアクシエロス、アクシオケルサー、アクシオケルソス、カドミロスであって、おのおのギリシアのデーメーテール、ペルセポネー、ハーデース、ヘルメースであるともいわれる。」という記述の裏付けを見いだすことが出来ます(カスミロスとカドミロスの違いはありますが)。さらに「ギリシア・ローマ神話辞典」にはカベイロイが「プリュギアの豊饒神」であると書かれていますが、カベイロイがプリュギアの神々であるという根拠はどうも上の古注の「カベイロイという呼称は、この神々がもともと居た、フリュギア(プリュギアに同じ)のカベイラ山に由来するものと思われている。」という箇所にありそうです。
では、豊饒神であるという点についてはどうでしょうか? これはヘーロドトスの以下の記述が根拠になっているようです。
ギリシア人が勃起した男根を具えたヘルメス像を造るのはエジプト人から学んだのではなく、ギリシアではアテナイ人がはじめてこれをペラスゴイ人からとり入れ、アテナイから他のギリシアへ広まったものである。アテナイ人は当時既にギリシア人の数に加えられていたが、そこへペラスゴイ人が移ってきてアテナイの国土に共に居住することになったもので、それ以来ペラスゴイ人もギリシア人と見做されるようになった。カベイロイの密儀はサモトラケ人がペラスゴイ人から伝授を受けて行なっているものであるが、この密儀を許されたものならば、私のいわんとするところが判るはずである。というのは、アテナイ人と共住するに至ったペラスゴイ人は、以前サモトラケに住んでいたもので、サモトラケ人は彼らから密儀を学んだものだからである。そのようなわけでギリシアではアテナイ人がはじめて、男根の勃起したヘルメス像をペラスゴイ人から学んで作ったのである。これについてはペラスゴイ人の間に聖説話が伝えられているが、その内容はサモトラケの密儀において示されている。
ヘロドトス著「歴史」巻2、51 から
「勃起した男根を具えたヘルメス像」というのは畑の豊饒祈願や境界の保護、魔除けなどを目的として建てられました。これをアテーナイ人がペラスゴイ人から学んだことを上の引用は言っています。そしてこのペラスゴイ人はそれ以前にサモトラーケーに住んでいて、この像についての神話がサモトラーケーの密儀で示されている、ということです。ここからカベイロイが豊饒神であるという説が出来たのでしょう。
しかし、このヘーロドトスの文章によればカベイロイの起源はペラスゴイ人の神々ということになり、先に述べたようなプリュギアの起源という説と対立してしまいます。また、やっかいなことにペラスゴイ人とは何者なのか、ということが現代まで分かっていません。英語版Wikipediaの「カベイロイ」の項目を見ると、
ギリシア神話では、カベイロイは、謎めいた地下的なの一群の神々でした。彼らは、ヘーパイストスと密接に関連する秘教で崇拝されていました。これは、北エーゲ海のレームノス島と、おそらくサモトラーケー島(サモトラーケー島の神殿複合体)とテーバイを中心にしています。それらの遠い起源では、カベイロイとサモトラーケーの神々は、ギリシア以前の要素、またはトラーキアの、あるいはエトルリアの、ペラスゴイの、プリュギアの、ヒッタイトのような他の非ギリシアの要素を含む可能性があります。
とあって、プリュギア起源である可能性も、ペラスゴイ起源である可能性も残しており、歯切れが悪いです。
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