神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモトラーケー(6):カベイロイ(2)

次に、高津春繫氏の「ギリシアローマ神話辞典」の「カベイロイ」の項の記述にあった「前5世紀以後航海者の保護神とも考えられ、この点から彼らはディオスクーロイと同一視されるにいたった。」という点について検討してみます。ディオスクーロイというのは星座のふたご座で知られるギリシア神話に登場する双子の英雄カストールとポリュデウケースのことです。彼らは船乗りたちの守護神と考えられていました。カベイロイがディオスクーロイと同一視された、ということは、カベイロイは2柱である、と少なくとも当時の信者一部には思われていた、ということです。実際、サモトラーケーでは、漁師たちや船乗りたちがサモトラーケーの神々を信仰していました。

賑わいのある海路にサモトラーケー島が位置するため、信仰は特に人気があり、多くの場合非常に控えめな供物がそこに行く途中で見つかりました。発掘調査により、船乗りや漁師たちが提供する貝殻や釣針が見つかりました。彼らは海の危険から彼らを守ってくれた神々に感謝していたようです。


英語版Wikipediaの「サモトラーケーの神殿群」の項より

しかし、これは前回紹介した「アルゴナウティカ」の古注にある、カベイロイは4柱である、という情報と矛盾してしまいます。では、同じく神話辞典にあった「オルペウス教の影響でボイオーティアのテーバイ市ではカベイロイの年長者(=ディオニューソス)と子供(名前は明らかではありませんが)の二人の形で崇拝された。」という記述は、どう考えたらよいでしょうか? この説ではやはりカベイロイは2柱になりますが、その正体はカストールとポリュデウケースではなくて、酒の神ディオニューソスとその子になっています。一方、パウサニアースが「ギリシア案内記」の9.25.6でテーバイのカベイロイについて記していますが、そこではカベイロイの正体はディオニューソスとその子ではなくて、人間に火をもたらしたというプロメーテウスとその子アイトナイリスだと言っています。

しかし、テーバイ人が儀式の起源であると言っていることの全てを私が述べるのを妨げるものは何もありません。彼らは、かつてこの場所にカベイロイと呼ばれる住民がいる都市があり、デーメーテールはカベイロイの一人であるプロメーテウスとその息子アイトナイリスを知るようになり、彼らに何かを託しました。彼らに託されたものとそれに起こったことを書くことは、私には罪のように思えますが、とにかくその儀式はカベイロイへのデーメーテールの贈り物です。


パウサニアース 「ギリシア案内記」 9・25・6より

ここには「カベイロイと呼ばれる住民」がいたとも言っていて、そうだとするとカベイロイの数はもっと多数だということになります。一方、神話辞典には「またカベイロイはサモトラケーの英雄イーアシオンとダルダノスとも同一視されている。」とも書かれていました。こうして、カベイロイとは何か、という問いに対する答は、調べるほどにより遠くなっていくように見えます。

(上:カベイロスであるとされる画像)


ヒュー・ボーデンの「名無しの神々」には、今までの考察を吹き飛ばすような事実が書かれていました。

さらに重要な点は、碑文史料がこの主張(=サモトラーケーで崇拝されているのがカベイロイであるという主張)を支持していないということである。サモトラケの碑文では、神々が、テオイ(神々)、テオイ・メガロイ(偉大なる神々)、テオイ・ホイ・エン・サモトライケイ(サモトラケにおわします神々)、それからテオイ・サモトライケス(サモトラケの神々)と呼ばれており、こうした呼び名は全て、同島以外から出土した碑文でも確認されている。これに対して、カベイロイに捧げられた碑文となると、サモトラケ島ではこれまで一つも出土していない。


ヒュー・ボーデン著「名無しの神々」より

古代の地理学者ストラボーンもこんなことを書いています。

多くの著作家は、サモトラーケー島で崇拝されている神々をカベイロイであると特定していますが、彼らはカベイロイ自体が誰であるかを言うことが出来ていません。


ストラボーン「地理書」7の断片50

サモトラーケーの秘儀の神々はカベイロイでない可能性も出てきました。サモトラーケーの秘儀を探る試みはなかなか困難です。