神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモトラーケー(1):はじめに


サモトラーケー島は、エーゲ海の北東の隅にある島です。この北の大陸側はトラーキアといい、古代にはトラーキア人が住んでいました。この島は古くはサモス島と呼ばれていましたが、南にあるサモス島と区別するために「トラーキアのサモス」を意味するサモトラーケーという名で呼ばれるようになったといいます。ストラボーンはこの島がサモスと呼ばれた理由を、ある地理学者の説として2つ挙げています。

その地理学者によると、このトラーキアの島は、その高さからサモスと呼ばれていました。 というのは「サモイ」とは「高さ」を意味するからと彼は言います。・・・そしてこの地理学者は、昔、ミュカレーのサモス人が、作物の不足のために捨てられていたこの島に定住し、このようにしてそれはサモスと呼ばれたと言います。


ストラボーン「地理書」7の断片50aより

上の引用のなかで「その高さから」というのは、サモトラーケー島のまん中あたりに1,611mの高さのフェンガリ山があるからです。フェンガリというのは月と意味するそうで、そうするとこの山は翻訳すると「月山」になるようです(ちなみに日本の月山は標高1,984mだそうです)。ギリシア神話ではかつてトロイア戦争の時に、海神ポセイドーンがこの山の頂から、海を越えたトロイアの平原での人間たちの戦いを眺めていたということです。ポセイドーンはギリシア軍を応援していたのですが、神々の王ゼウスがトロイア側に肩入れしていて、そのためにギリシア軍が押されているのを見て憤慨したのでした。

だがけっして、眼はしの利かぬ見張りの役を 大地を揺る御神(=ポセイドーン)は
していなかった、とはすなわち、戦さや撃ち合いの様子を 不審の眼で、
森にゆたかなサモス(=サモトラーケー)の山の 絶頂(いただき)に高く御坐しながら、まもっておいでた、
トラーキアのである、そこから、つまりイーデーの峯が 隈なく見渡せ、
プリアモス(=トロイアの老王)の都城も、アカイア軍(=ギリシア軍)の船隊もみな見渡せるので、
その場所に 海から出て 御座を占め、アカイア勢がトロイエー方
圧倒されてゆくさまを かつは憐れみ、ゼウスに 劇しい怒を覚えた、


ホメーロスイーリアス」第13書 呉茂一訳 より(10~20行あたり)


サモトラーケー島はトロイアに縁のある島で、そもそもトロイアの王統はこのサモトラーケーに発しているのでした。トロイアの王家の始祖はダルダノスというのですが、彼はゼウスとエーレクトラーの子としてサモトラーケーで生まれたのでした。エーレクトラーは天空を支えていると言われている巨人アトラースの娘でした。彼女は神々の王ゼウスとの間にイーアシオーンとダルダノスの兄弟を生みました。この兄弟はサモトラーケーに住んでいました。兄のイーアシオーンは農耕の女神デーメーテールに恋して襲ったために、ゼウスによって雷霆を落とされて死んだといいます。あるいはデーメーテールがイーアシオーンに恋して2人の間には富の神プルートスが生れたともいいます。一方、ダルダノスのほうはイーアシオーンが雷霆に撃たれたのを見てサモトラーケーを去り、トロイア地方(この頃はその名前がありませんでしたが)に移住して、そこの王テウクロスの娘バティエイアと結婚しました。王の死後、その王位を引き継ぎ、自分の支配する地方に自分の名前をつけてダルダニアと呼びました。この名前は今もダーダネルス海峡の名前に残っています。このダルダノスの子がエリクトニオスでそのまた子供がトロースです。トロースの時に町の名前をトロイアと呼ぶようになりました。


トロイアの王家がサモトラーケーに発するというこの伝説は、何か歴史を反映しているのでしょうか? 英語版のWikipediaの「サモトラーケー」の項によれば初期のサモトラーケーの住民の変遷は以下のとおりです。

古代からの伝説の説明は、サモトラーケー島には最初にペラスゴイ人とカーリア人が住み、後にトラーキア人が住んでいたというものです。BC 8世紀の終わりに、島はサモス島のギリシア人によって植民されました。この島からトラーキアのサモスという名前が付けられ、後にサモトラーケー島になりました。(中略)考古学的証拠は、ギリシア人の入植がBC 6世紀にあったことを示唆しています。


英語版のWikipediaの「サモトラーケー」の項より

ペラスゴイ人というのはギリシアの先住民らしいのですが、これがどのような民族だったのか、はっきりしません。カーリア人というのは小アジアの南西に住んでいた民族です。トロイア人がどの民族に属していたかについても定説がないのですがあえて推測すると、私はトロイア人はルウィ語系の言葉を話していたと考えています。ルウィ語というのはヒッタイト語に近い言語です。一方、カーリア人が話していたカーリア語もルウィ語やヒッタイト語に近い言語と考えられています。ペラスゴイ人がどのような言語を話していたかについては私は何も意見がありません。サモトラーケー島にかつてカーリア人が住んでいたならば、サモトラーケー島とトロイアには近縁の種族がいた、ということになりそうです。