神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

グリューネイア(1):起源

グリューネイアはレスボス島の東の大陸側にある町で、レスボス島の諸都市と同じアイオリス系のギリシア人による町でした。

グリューネイアはその名前に異称が多く、グリューニア、グリューネイオン、グリューニオン、グリューノイとも呼ばれました。のちにローマ人からはグリューネイウムとかグリューニウムとか呼ばれています。BC 5世紀の歴史家ヘーロドトスは、大陸(今のトルコ)のエーゲ海沿岸にあるアイオリス人の町を12挙げていますが、その中にグリューネイアがあります。

以上がイオニアの諸市であるが、次にアイオリスの町としては、プリコニスの異名のあるキュメ、レリサイ(ラリッサ)、ネオン・テイコス、テムノス、キラ、ノティオン、アイギロエッサ、ピタネ、アイガイア、ミュリナ、グリュネイアがある。これら11の町は古くからアイオリスの町であった。数が11であるのは、その一つであったスミュルナが、イオニア人によって切り離されてしまったからで、もとは大陸のアイオリス都市も数は12あったのである。これらのアイオリス人が町を築いた土地は、イオニア人の土地よりも豊沃であるが、気候の点ではイオニアほど恵まれていない。


ヘロドトス著「歴史」巻1、149 から

ヘーロドトスの著書のなかでグリューネイアが登場するのはこの1か所だけです。そのような情報の少ない町を取り上げて、自分がどれだけのことが書けるのか試してみました。


グリューネイアの創建伝説については高津春繁「ギリシアローマ神話辞典」に記述がありました。

それによればグリューネイアを建設したのはミューシア王のグリューノスのいう人物でした。ミューシアというのは下の図の領域のようです。時代によってミューシアの領域は変動していたようですので、下の図が示しているのは、だいたいの位置であると考えて下さい。

グリューノスはミューシアの王子で、その父親エウリュピュロスはミューシアの王でした。エウリュピュロスはトロイア戦争トロイア側に参加して、ギリシアの戦士ネオプトレモスに打ち取られました。そこでグリューノスが王位を継いだのですが、近隣の王たちはグリューノスが弱腰だと見取ってミューシアの領土を狙って攻めてきました。そのためにグリューノスの支配地はどんどん小さくなり、やがてはほんのわずかな領地になってしまいました。グリューノスは、ネオプトレモスとアンドロマケーの子ペルガモスが小アジアにやってきたのを知ると、ペルガモスに助けを乞いました。自分の父親を殺した人物の息子に援助を乞うのは奇異に思われるかもしれませんが、その理由についてはあとで述べます。さてグリューノスは、ペルガモスの援助によってミューシアの旧領を回復することが出来ました。そこでグリューノスはグリューネイアとペルガモスという二つの町を建設し、ペルガモスの町をペルガモスに贈りました。これがグリューネイアの起源です。


さて、グリューノスがペルガモスに援助を求めた理由ですが、ペルガモスの母親アンドロマケーがトロイア側の人間だったことが理由のようです。アンドロマケーはかつてトロイアの王子ヘクトールの妻でした。ヘクトールというのはトロイアの第一の勇士で、侵略するギリシア軍を防ぐのに大活躍した人でした。しかしヘクトールギリシアの勇士アキレウスに打ち取られ、そのアキレウストロイアの王子パリスに打ち取られました。最終的にトロイアギリシアによって攻め取られ、ヘクトールの妻だったアンドロマケーは捕虜にされます。捕虜になった女性たちはギリシアの将帥たちに分配されることになっていました。アンドロマケーを得たのはネオプトレモスでした。ネオプトレモスはアキレウスの息子でした。つまり、アンドロマケーは自分の夫を殺した人物の息子の奴隷になったのでした。女性の奴隷は往々にして妾でもありました。さらにネオプトレモスは、ヘクトールとアンドロマケーの間に生れた幼い息子アステュアナクスを殺した人物でもあります。こういう憎んでも余りある男の妾になってアンドロマケーは子供たちを産んだのでした。三番目に生れたのがペルガモスです。やがてネオプトレモスはデルポイでオレステースによって殺されます(この経緯については「ヘルミオネー(7):王女ヘルミオネー」でご紹介しました)。寡婦になったアンドロマケーが故郷に帰りたいと思ったとしてもそれは当然のことだったでしょう。アンドロマケーは三男のペルガモスを連れて小アジアトロイアの近くに移住してきたのでした。


この伝説は、グリューネイアがトロイア戦争終結からそれほど経たない頃にトロイアの遺民によって建てられたことを伝えているように私には思えました。グリューノスはミューシアの王ですし、ペルガモスも母方からトロイアの縁者になるからです。もしそうだとすると、のちにアイオリス人がこの町を奪ったことになりますが、そのような伝説を私はまだ見つけていません。別の可能性としてグリューネイアは、トロイアの遺民の子孫による町であったが、周りにアイオリス人の町が多数建設されたために、やがてその言葉を変えてギリシア語のアイオリス方言を話すようになった、ということも考えられます。