神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

リンドス(7):クレオブーロス

リンドスにドーリス人がやってきたのがBC 10世紀頃とされています。それから400年間は、例によって伝承がほとんどありません(私はそこが知りたいのですが)。BC 6世紀より前のある時点に、リンドスは近隣のドーリス系都市と同盟を結びました。これがヘクサポリス(6都市)という同盟で、その加盟都市は、まずロドス島の3都市、リンドス、イアーリュソス、カメイロスであり、そのほかコース島のコースと、あとは大陸側の都市であるハリカルナッソスクニドスです。

(上:ドーリスの6都市同盟の都市)


これらの都市はトリオピオンというクニドスの近くのアポローン神殿を崇拝し、この神殿のために競技を奉納し、他の都市をこの聖域に入れないようにしました。のちにハリカルナッソスがこの同盟から除名された話は「ハリカルナッソス(4):リュディアとペルシアへの服属」でご紹介しました。


BC 7世紀の初め頃、リンドスは他の都市と共同でシケリア島(イタリアのシシリー島)にゲラを建設しました。

シュラクーサイの建国から45年目には、ロドスからアンティペーモス、クレータからエウティーモスがそれぞれの植民団をひきいて渡来、協力してゲラを建設した。その首都にはゲラス河にちなんでゲラの名が与えられたが、最初に城壁が築かれて、現在もその町がある地域は、リンディオイと呼ばれている。


トゥーキュディデース「戦史 巻6・4」より

上の引用では「ロドスから」としか書いてありませんが、町の古い地域が「リンディオイ(=リンドス人)」と呼ばれていることから、リンドス人が主体の植民団だったと思います。


BC 6世紀に活躍したリンドス人にクレオブーロスがいます。彼は七賢人の一人に数えられることもあります。七賢人として必ず名前が挙がるのはミーレートスタレースと、アテーナイのソローンとミュティレーネーピッタコスですが、だいたい彼らの同時代人だったとするとクレオブーロスは、小アジアがリュディア王国に支配されていた頃に活躍していた、ということになります。

クレオブゥロスはエウアゴラスの子で、リンドスの人。(中略)またある人たちは、彼の家系はヘラクレスまで遡られるし、彼は体力においても美しさにおいても衆に抜きんでており、エジプトの哲学にも通じていたとしている。(中略)彼はまた、かつてダナオスによって建てられたアテナ女神の神殿を新しく立て直したと言われている。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」 加来彰俊訳 の第1巻第6章「クレオブゥロス」より




(左:クレオブーロスの像)


彼はリンドスの王であったという人もいますし、僭主だったという人もいます。アテーナー神殿(アテーナー・リンディア)を新しく立て直したということですから、いずれにせよリンドスの有力者であったに違いありません。家系がヘーラクレースまで遡ることが出来る、というところに神話の時代からのつながりをわずかに感じさせます。スパルタの2つの王家(スパルタには常時、王が2人いるのです)の両方ともヘーラクレースの子孫と伝えられていました。そういうことを考えると、ヘーラクレースの子孫であるクレオブーロスがリンドスの王家の一員であった可能性もありそうです。


クレオブーロスは賢人と呼ばれていましたが、その知恵というのは人生訓のような種類の知恵でした。彼の教訓には私から見てうなずけるものが多いです。
「身体をよく鍛錬すること」 ごもっともです。
「話し好きな者となるよりも聞くことの好きな者となること」 現代でもよく言われます。
「無学な者であるよりは学問好きとなること」 ごもっとも。
「不吉な言葉は控えること」 はい。大切ですね。
「徳には親しくし、悪徳にはよそよそしくすること」 ごもっとも。
「不正を避けること」 当然です。
「幸運なときにも傲慢にならず、困窮に陥っても卑屈にならぬこと。運命の転変に気高く耐えるすべを知ること」 大切ですが、なかなか難しいことです。


クレオブーロスの生涯については、ほとんど何も分かっていません。ディオゲネース・ラーエルティオスは、クレオブーロスが70歳で亡くなったと伝えています。

彼は70年の生涯を送って高齢で死んだ。そして彼の墓には次の言葉が刻まれていた。

身まかりし賢者クレオブゥロスを、
海を誇りとするこの祖国リンドスは悼む。


同上