神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

リンドス(3):ダナオスの子孫(ダナオイ)

ダナオスと50人の娘たちは、ロドス島にはちょっと立ち寄っただけで、すぐに目的地のアルゴスに行ってしまいますので、リンドスとはあまり関係がないのですが、その後の物語はギリシア神話上重要な位置を占めていますので、簡単にご紹介します。


ダナオスと50人の娘たちは、無事アルゴスにたどり着き、アルゴスの王に受け容れられてもらいます。しかし、アイギュプトスの50人の息子たちも船を作って、エジプトからアルゴスまで追いかけてきたのでした。そして、彼らの圧力に負けてここに50組のカップルが誕生します。しかしダナオスは娘たちに短剣を渡し、初夜に自分の夫となった人を殺すように言いつけました。娘たちは、初夜の晩に眠っている夫を殺しました。しかし、娘の中のただひとりヒュペルムネーストラーだけは、自分に割り当てられた夫のリュンケウスを殺しませんでした。それはリュンケウスの人柄がよかったため殺せなかった、と言われています。しかし、そのことでヒュペルムネーストラーは父親のダナオスに捕えられます。ダナオスは娘をアルゴス人の法廷に訴えました。しかし、愛と美の女神アプロディーテーが現われて二人が結婚することが神意であることを告げたので、アルゴス人の法廷はヒュペルムネーストラーを許しました。


というのもヒュペルムネーストラーとリュンケウスの間に生まれた息子アバースの子孫としてギリシア神話で有名なペルセウスヘーラクレースや他の英雄たちが生れることになっていたのでした。ペルセウスについて言えば、ヒュペルムネーストラーとリュンケウスの子アバースの子アクリシオスの娘ダナエーがゼウスに愛されて生まれたのがペルセウスです。(星座に興味のある人でしたら、ペルセウスにまつわる星座がいくつもあることをご存じだと思います。ペルセウス座アンドロメダ座ペガスス座くじら座ケフェウス座カシオペア座がそうです。)

(上:海の怪物からアンドロメダを助けるペルセウス


 また、ペルセウスの子エーレクトリュオーンの娘アルクメネーがゼウスに愛されて生まれたのがヘーラクレースです。あとでお話しすることになるロドス島の伝説的な領主トレーポレモスはヘーラクレースの息子ですので、やはりダナオスの子孫にあたります。トロイア戦争を扱ったホメーロス叙事詩イーリアス」では、ギリシア勢のことを所々でダナオイと呼んでいます。ダナオイとは、ダナオスの子孫という意味です。例えば、次のような箇所です。

いで告げたまえ、オリュンポスに宮しき居ます詩神(ムーサイ)たちよ、
そも御身らは神におわし、その場に立ち合い、万事を心得たもうに、
我らはただ評判に聞きつたえるのみ、何事をもさらに弁えないので、
ダナオイ勢を率いる大将、またその頭梁方は如何なる人々であったかも、
こう大勢では、到底私も語り得ず、その名とて述べおおせぬであろう、
たとえ またわたしらに舌が十枚、口が十あったにしても、


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

トロイア戦争に登場するギリシア勢の全員がダナオスの子孫であるというわけではないのですが、そこは厳密には考えずに全体をダナオイと呼んだものでしょう。ダナオイというのは一種の民族名あるいは種族名だったようです。


さて、話をダナオスの娘たちに戻します。ヒュペルムネーストラー以外の娘たちは、殺した男たちの葬礼を行い、その首を近くのレルネーという沼地に埋めました。首をわざわざ切り取って別の場所に埋めるというのは不気味な話ですが、どうもこの伝説の背後には、アルゴスに水をもたらすためにレルネーの泉に人身御供を行ったという、太古の儀礼が存在していたそうです。


さて、大神ゼウスはアテーナー女神とヘルメース神に命じて、ダナオスの娘たちを殺人の穢れを清めさせました。これは娘たちにとってハッピーエンドになる結末ですが、ハッピーエンドにならない異伝も存在していて、その物語では娘たちは死後、冥界で、穴の開いている甕で水を汲むことを命ぜられていて、永遠に水を汲む動作を行っている、ということです。娘たちは父親の命に従っただけであったのに、こんな罰を蒙るとは、かわいそうなことです。

(上、「ダナオスの娘たち」ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作)


このイメージは、古代ギリシア人にとっては、シーシュポスの労働と並ぶ、永遠に続く劫罰のイメージでした。しかし、見方を変えれば、ダナオスの娘たちが水を汲むというイメージは、もともとは豊かな水を願う儀礼を指したものなのかもしれません。