神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

リンドス(5):トレーポレモス

さてトロイア戦争の時に、リンドスを含むロドス島はギリシア側に立って兵を出しました。それを率いるのはヘーラクレースの子といわれるトレーポレモスでした。

 またトレーポレモスはヘーラクレースの子で、性(さが)勇ましく丈高く、
ロドス島より九艘の船を率いて来た、この気象のすぐれたロドス人らは
三つの部族にわかたれて、ロドスの島一帯にならび住まうもの、
リンドスイアーリュソスと、白亜に富めるカメイロスと(の三邑)に。


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より


 さて、どうしてトレーポレモスはロドス島の領主に納まっているのでしょうか? それについてホメーロスは以下のように語ります。

さてトレーポレモスはというと、立派なつくりの館の中で
成人すると、たちまち父方の 伯父を殺してしまった、
もう年寄りかけたリキュムニオスとて 軍神アレースが伴侶(とも)なる者、
そこで直ぐ、船をいくつも造らせてから、者どもをあまた呼び寄せ、
祖国(くに)を逃れて海上に船出をしたのも、勇士ヘーラクレースの
他の息子ら、また孫たちが 仇を討とうと押しかけたため。


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

トレーポレモスはもともとはペロポネーソス半島のアルゴスに住んでいました。ある時、細かい事情は分からないのですが伯父(と上記の引用にはありますが、どうも祖父の弟らしい)のリキュムニオスを殺してしまったのでした。そのため、他のヘーラクレースの息子たちが復讐のためにトレーポレモスを襲うことになり、それから逃れるためにトレーポレモスは船で逃げたのでした。逃げたのはトレーポレモス一人ではなく妻と、郎党をつれての大移動でした。

ところで彼は所々を流浪し さまざまな苦労を重ねつ、ロドスに来てから、
人々と、部族にしたがい、三部に分れて住まい付き、またゼウスの
いつくしみにも預っていたが、神々や人間どもを見そなわしたもう
神、クロノスの御子は また莫大な富を 彼らに注ぎ与えた。


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

そしてあちこちを転々とした後にロドス島について、3つの町に分かれて住んだということです。上の引用を読むと、それまでロドスにはリンドス、イアーリュソス、カメイロスの町はなくて、彼らがそれらの町を建設したかのように読めます。そうすると太陽神ヘーリオスの孫たちがこれらの町々を作ったという伝承とどのように整合を取ったらよいのでしょうか? 要するにロドス島の3市の創建の伝承にはヘーリアダイによるものとトレーポレモスによるものの2種類の伝承がある、ということのようです。


さてトロイア戦争にこの3つの町から兵を率いたトレーポレモスですが、戦場でリュキア軍の大将サルペードーンと一騎打ちをすることになります。トレーポレモスはヘーラクレースの子であり、ヘーラクレースの父親は大神ゼウスですから、トレーポレモスはゼウスの孫です。一方、リュキアのサルペードーンはゼウスの息子でした。リュキア軍はトロイア側に援軍として参加していたのでした。

その間にきびしい運命(さだめ)は、ヘーラクレースの子で、勇ましく、丈の高い
トレーポレモスを 神にひとしいサルペードーンへ向い立たせた。
さてこの二人がたがいに進み寄り、いよいよ間近となった折しも――
この両人とも、雲を集めるゼウス大神の、息子に片やは孫であったが――


ホメーロスイーリアス」第5書 呉茂一訳 より


両者は槍を投げ合います。

 こなたのトレーポレモスも
とねりこの槍をふり上げた、そして同時に、二人の手から
長い手槍が奔り飛んだ、サルペードーンは、対手の頸の真中へと
打ち当てたので、その痛々しい穂先が ずっぷりつきとおった、
して、敵のまなこをすっかりと 暗黒の夜が蔽ってしまった。
トレーポレポスの方はというと、(対手(あいて)の)左の腿太(ももた)へ長い手槍を
うち当てたれば、はやりにはやるその穂先は、骨をかすめて
衝き入ったが、父なる神が まだまだと、禍いを防いでやられた。


ホメーロスイーリアス」第5書 呉茂一訳 より

サルペードーンは傷を負いましたが、トレーポレモスは致命傷を負い、討たれてしまいました。